perfume
かっちりと糊の効いた、今までに袖を通したこともないような上質な生地のスーツは、すぐに馴れた。
少しばかり気を張る必要のある、それでも温かみのある人たちと共にあることも、そうでない人間たちと関わることも、けして心踊るとは言えない仕事を日々こなすことも。
それは、あっさりと馴染んでゆく。
持とうと思ったこともなく、事実、泣きたいほどの必要にかられるまで、持ったことのなかった重みも、それと不可分の、硝煙の匂いも、安らぎをもたらしてくれる人を騙しつづけることも。
それはとても、不思議なことだった。
変わってゆく。否応なしに。
自分ではなく、自分に馴れていく、すべてのものが、あっさりと移り変わってゆく。
ふと、見下ろす指は、昔から変わらぬ武骨さのまま、ほんの少しだけ、苦労を忘れた。
単純な力をそこに求め、見出すことは何一つ変わってはいないのに、それでも、以前よりも少しばかり羽振りの良くなった生活は確実に、見慣れた「荒れ」を、彼の指から拭い去っている。
まるで、自分の肌に馴れた何かが、新しく、そこを覆ってしまったように。
不思議だと、思って何度も見直した。
そして、気付いて……哀しくなる。
見慣れた、貧しさの染み付いた荒れの変わりに、そこに馴染んでいるのは、硝煙の匂い。以前よりも健康的な艶を持っているはずの皮膚に二重映しに見える、マズルフラッシュがもたらす火傷の黒ずみ。
それが、哀しかった。
ただ1人、昔と変わらぬ笑顔を見せてくれる人、マリアにはけして、それを見せられないことは分かっていたから。
このまま、銃の重みとそこに馴れる硝煙の匂いのように、自分とそれらが不可分のものになってしまったら、もうマリアとは会えないのかもしれないと、分かっていたから。
ふと、以前、ハリーが彼に贈ってくれたものが思い浮かぶ。
まだ自分の指に何の匂いもついていなかった頃から、仲間の中では一番の洒落者であった彼が、冗談交じりに投げたそれは、ずっと、一度も使われることのないまま、部屋の隅に転がっていた。
もう、自分たちは昔とは違うのだからと。少しくらい、身だしなみにも注意を払ってみろと。
言って、彼が寄越したのは、片手に収まってほどに小さく、華奢なデザインの硝子に封じられた、香水だった。
香りを身に纏ったことなどない自分のために選んでくれた、ごく軽い、嫌味のないそれ。
手の中に玩び、ひっくり返してみたり、光に透かしてみたりしながら、ブランドンはゆっくりと考える。
着たこともなかったスーツ、手に取ることもなかった銃器、馴れてしまった硝煙の匂い。
ならばこれも、もしかしたら、そのひとつになるのかもしれない。
不器用に、教えられた通りに手首に吹き付ければ、ハリーの言った通り、さほどは気にならない香りが瓶から身体へとうつる。
よく分からないなりに、何かのフルーツのような、フレーバーティのような香りは、何となく、自分には似合わないのではないかとも思ったけれど、ひとつだけ、彼はこの香水を気に入った。
やさしい香りは、馴れてしまった硝煙の匂いを隠してくれる。
それが少しだけ、嬉しかった。
今日は、マリアに会う日だったから。