悲劇の前のひとつの閑話
そんな目立つ形でうろついていいんですか、そんなことを訊いたら、返ってきたのは不敵な微笑。
斬りゃあ済む。言ったのは一言だけで、その手は腰の兼定をつうと撫でた。
その鋭い眼光に、ぞくぞくしたことを覚えている。
だから間違えよう筈もない。
「土方さん!」
呼んで駆け寄ると、土方は驚いた様子もなくこちらを振り仰いだ。
「来ると思ったぜ」
どうやら後ろを歩いていた己の存在にはとうに気付いていたらしい。屯所から近くもなく、遭遇はあくまで偶然だというのに機微なことだ。それとも己だからこそ気付いてくれたのか。
なんて自惚れだな、と内心で苦笑したとき、徐に土方の手が頭に被さってきた。
「お前ェの気配なら一町向こうだって気付くさ」
あの冷徹で残忍な鬼の副長が得意げにそんなことを言うものだから。
藤堂は感激するよりも先に思わず笑ってしまった。
「それは大袈裟すぎますよ」
「うるせェや」
頭を小突かれたが、土方の表情は柔らかい。言葉遣いも江戸にいた頃のものに戻っていて、藤堂は嬉しくなった。
屯所まで並んで帰る道は、江戸で一緒に散歩したことを思い出させる。
京で新撰組として働いていることに不満も後悔もないが、時々江戸にいた頃が無性に懐かしくなる。あの頃は常といっていいほど土方と一緒にいて、暇に飽かせて昼間から抱き合ったりもしていた。
今では忙しすぎて、こうして共に歩くことすら滅多にできない。
「好きなのになァ」
ふと呟いてしまって、土方に怪訝な目を向けられた。
曖昧に笑って誤魔化そうとしても、しかし土方は誤魔化せない。昔からそうだった。
「それァ俺のことか?」
ぱっと顔が熱くなる。土方はニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
だから藤堂は開き直って。
「そうだよ、俺土方さんのこと、すっごい好き」
上目に見上げて笑ってみせる。
すると土方は少しばかり驚いたようで、細い目が僅かに広がった。
してやったり、と藤堂は調子に乗って、歩きながら土方の肩に身を寄せかける。
「土方さんも俺のこと好きでしょ?」
土方はよろけずとも立ち止まって、呆気にとられた様子で藤堂を見ていた。
だがすぐにその貌は爆笑のうちに崩れる。
今度は藤堂が呆気にとられる番だった。
元より土方がこんなに大笑いすることはあまりない。藤堂でさえ驚いているのに、鬼の土方しか知らぬ者が見れば別人とまで思ってしまいそうだ。
「ひ、土方さん?」
恐る恐る着物の袖をひくと、土方は漸く爆笑を収めた。
その代わりに藤堂の頭をぐしゃぐしゃと撫でて。
「平助、お前ェ言うようになったじゃねェか」
ぐいと肩を抱き寄せられる。耳許に唇が触れた。
「ああ、俺ァお前ェのことが好きだよ、誰よりもな」
低い声が鼓膜に直接響き、藤堂は危うく腰砕けになるところだった。それはなんとか避けたとて、耳まで真っ赤になっているのは間違いないだろう。藤堂は何も言えず、金魚のように口をぱくぱくさせるしかない。
そんな藤堂に土方はもう一度からからと笑った。
「八番隊は明日の昼まで非番だったな?」
訊かれてそうだと答えれば、土方の口許がくっと吊り上がる。
「なら今夜は俺の部屋に来な、朝まで可愛がってやるからよ」
肉食獣のような目が藤堂を射抜いた。疼くような感覚が全身に奔る。
藤堂は目蓋を伏せて、一つだけこくりと頷いた。
土方にだけは、いつになっても勝てそうにない。
作品名:悲劇の前のひとつの閑話 作家名:うに