Dad
家と隣り合ったガレージの方で話し声がする。ガレージは家を買うときについてきたもので、無用のものをしまう物置くらいにしか使っていなかった。今は機械いじりの好きな息子が、そこに入り浸っているらしい。妻に聞いた話だ。息子とはずいぶんまともに口を聞いていない。
家の周囲をぐるりと回り、不動博士はガレージの方へ足を向けた。人の背丈ほどまでシャッターが上がっている。自分の家とはいえ、黙って中をのぞくのは不躾な気がしたが、結局は好奇心に負けた。中には、息子とその友人らしい少年が二人いた。学校帰りにそのまま寄ったのか、三人とも制服のままだった。時折、笑い声が起こる。驚いた。息子が声を立てて笑っている。
「遊星」
水を差すのも気が引けたが、不動博士は中に向かってそう声を掛けた。遊星は博士に気づくと、ここにいるはずのないものに出会ったかのように驚いた顔をした。
「とう……、親父」
「いらっしゃい」
これは息子の友人二人に向けて言ったものだ。二人と挨拶を交わしているうちに、遊星は博士のところまでやって来た。
「どうしたんだ」
「着替えを取りにきたんだが、鍵を忘れてな。開けてくれるか」
久しぶりに会って、ほかに言うべきこともあるはずなのに、口をついて出たのはそんな用件だけだった。遊星は中の二人に「ちょっとすいません」と言って外に出てきた。
「母さんは? なにかあったのか?」
遊星がそう訊いてきたのは、いつも着替えや日用品を取りに家と研究所を行ったり来たりしているのが、もっぱら博士の妻のほうだからだ。不動夫妻はそろって、家から遠く離れた研究所に勤めている。研究所の近くに仮住まいがあり、童実野町の自宅に帰ってくることは稀だった。
「どうもしないさ。外せない用事があったから私が来た」
遊星は母親の身を案じだだけだろう。遠回しに普段家に寄り付かないことを非難されているような気がしてしまったのは、博士自身、それを後ろめたく思っているからだ。
鍵を借りるだけでよかったのだが、遊星は自分で開けてくれる気らしい。二人は並んで玄関の方へ回った。
高校の制服を着た息子を見るのは、実は初めてのような気がした。入学式に出席した妻が撮った写真で見ただけになっていたかもしれない。
「本当にガレージに住んでいるんだな」
先ほど少しのぞいたガレージの中を思い出して博士は言った。思いのほか、部屋らしく改装されていたのには関心したが、遊星の答えは素っ気ないものだった。
「ああ。駄目だったか」
「いや。好きにすればいい。あそこはおまえにやる」
なにを今更、というように遊星は表情を変えなかった。
遊星が鍵を開け、博士はしばらくぶりの我が家に足を踏み入れた。夕方で部屋のカーテンも締め切っているせいか、中は暗い。
「電気の場所くらいは覚えてるだろうな?」
「言うじゃないか」
なかなか堪える一言になんということのない振りをしながら、博士は廊下の電気をつけようと、靴箱の上あたりの壁に手を伸ばした。スイッチは四つもある。一瞬迷って、結局すべて同時に押した。玄関と門を照らす灯りまでつけてしまい、遊星がそれを黙って一つ一つ消していく。怒っているのか呆れているのか、乏しい表情からは博士には判断できない。ほとんど話したことのない父親のことなど、本当はなんとも思っていないのかもしれない。そう思うと、急に薄ら寒い思いが込み上げてきて、博士に無理やり口を開かせていた。
「友達か。ガレージに来てたの」
「先輩だ。部活の」
「部活……。ああ、そうか。一人は、確か武藤遊戯くんと言ったか?」
先ほど会った少年に、どこか見覚えがあったような気がしていたのだ。遊星の顔を見ると、どうやら当たりのようだ。
「どうして父さんが知っているんだ」
「雑誌で見たよ。すごく強いんだろ? デュエル」
「雑誌って……」
「『デュエルマガジン』……いや、『月刊デュエリスト』の方だったかな」
とにかく、最近手にしたデュエル雑誌に彼の記事が載っていたのは確かだ。遊星は不可解そうに父親の顔を見つめている。二人の間にデュエルの話が上がるのはこれがはじめてだった。
「おまえのすることに関心がないわけじゃなんだよ」
遊星の表情が揺らいだ。照れているのか、嫌がっているのか、そのどちらもが交互に表情に表れてせめぎあっている。どうやらなんとも思われていないわけではないと分かって、それだけで博士は満足だった。
「鍵はポストに入れておいてくれ」
踵を返して遊星は言った。もうガレージの方には顔を出すなというわけだ。この年頃の心理としてはわからなくもない。
「遊星」
少し、からかってやろうと思った。
「茶菓子でも持って行ってやろうか」
「やめてくれ」
息子が心底嫌そうな顔で即答したので、博士は思わず声を出して笑った。