夏の夕暮れ
「暑いって言うからです」
そりゃごもっともと、拗ねた声で返し乱暴にうちわを扇ぐ。その風が僕の前髪を揺らして、ぬるい風が頬を撫でる。この部屋が暑いんだもの、団扇のおくる風も残念な代物に決まっている。夏は、そんなに嫌いではないのだけど。
窓の外、向こう側で運動部の掛声が聞こえる。
西側のこの部屋はカーテンをぴたりと閉め切っている。そうしないと、沈みかかった太陽に目をつぶされそうだから。ぬるい風が重いカーテンを押して、ちらちらと床に光を落とす。橙色の、眩しい光が床に反射している。
こんな薄暗い部屋で、僕は参考書の山を片付けて、本当はそれをすべき人間がうちわを扇ぎながらシャツの襟首を伸ばしている。
制服のズボンを膝までまくりあげて、踵のつぶしたシューズに丸まった靴下が収まっている。その人は、どこか、夏みたいな人で、この人のことも嫌いではなかった。今は。少し前まで、本当に嫌いだったのだけど、人間何があるかわからない。
「新堂さん」
これまた不機嫌な声で、ああ?などと言うどこか間の抜けた声を出し、ぎらと睨みつけられる。本人に言わせればただ眼付が悪いだけ、らしい。どこからどう見ても、ただの怖い人だと思う。見た目と違って、涙もろかったりもする。これは誰にも言っていない。
「僕、あなたのこと、嫌いでしたよ」
「俺だって嫌だ、ごめんだね、お前みたいな陰気なやつは」
気が滅入る、湿気っぽいと愚痴をいくつか重ねて、黙る。見つめる。首筋からつたった汗が、伸びた襟首に染みて消える。それに胸がざわつくのは、何故なんだろう。
「今はそうでもないです」
「ああ、そうかい」
適当な言葉の向こうの、照れ隠し。目を合わさないで、ただうちわをあおぐ。バタバタと、しなったうちわが音を立てる。蒸し暑いこの部屋。じっとしているだけで、汗が止まらない。どうせならこのまま、全部溶けたらとありきたりなことを思う。せめてこの夏が終わらなければ。
「俺も」
たぶん、いや、よくわからないと、言葉を濁して。
「それなら、うれしいです」
良い子はもう家に帰る時間です、無常にも時間は止まらないと僕に告げるようにチャイムが鳴った。彼の口が何か言おうとして、それが聞こえなくて、僕は黙って続きを待った。このまま時間が止まればいいのに。このまま。