永久(とわ)
信じていたのに、信じていたのに。どうして・・・。
何千回目のどうして、という疑問。
(貴方は僕と約束したのに、約束したじゃないですか・・・)
遙か昔、初めて会った時あの人は言った。
『平安で、汚れのない真っ白な国を君にあげるよ』
柔らかい笑みで、とても自信に満ちた瞳でそう言っていたはずなのに。
どこで道を間違ってしまったのだろう。
「しゅじょう・・・」
漆黒の髪を持つ麒麟は涙を流しながら、痛み軋む体をそのままに寝台から滑り落ちた。
「・・・臨也。天官長として言わせてもらう。君は道を誤っているよ」
「新羅・・・。何?それをわざわざ言いにここまで来たの?ふふ、殺され来たのも同然の行為だよ」
新羅は顔を苦痛でゆがめ、暴君となりはててしまった自国の王を見つめる。
(400年続いたこの王朝も終わるのか・・・)
新羅には解っていた。この男が長い長い間王を続けていられるはずがない、と。
いつか飽いて、国を壊してしまうであろうと。
けれど、この国の麒麟はこの男を選んだ。天帝はこの男に王の素質があると言われたのだ。
ならば、まだ諫めれば間に合うのではないか?天帝と麒麟が選んだ王なのだ。
(まだ、まだ間に合うはずだ。麒麟が失病になっていなければ、まだ)
「臨也・・・。民のほとんどが今飢餓で苦しんでいる。たのむから良い行いをして」
「新羅」
臨也は一瞬新羅を睨み付ける。その眼光の鋭さに新羅は息をのんだ。
臨也は不敵に笑うと、腰に差してある太刀に手をかけた。その切っ先を新羅の首物とにぴたりと当てる。
「この国は俺の国だよ?俺がどうしようと、どこへ導こうと俺の勝手だ」
「臨也・・・」
「それにね、新羅」
臨也は今度はまるで道に迷った子供のような顔で微笑んだ。その笑みに新羅は目を見開く。
そして、臨也が言った言葉に耳を疑った。
「それにね、もう帝人くんは失病なんだよ・・・」
『お戻り下さい。これ以上はお身体がっ』
すっと帝人の影から出てきた女怪に帝人は首を横に振った。
けれど、膝ががくがくと震えその場にしゃがみ込んでしまう。
「・・・庚愁・・・だめだよ。僕は、僕は行かなきゃいけないんだ・・・。主上の元へ・・・」
『けれど!』
庚愁に帝人は苦笑を漏らした。己の乳母であり、使令でもある愛おしい妖魔。
「お願い庚愁・・・。行かせて」
弱々しく、小枝のようになってしまった帝人の指がぎゅっと雪蘭の腕をつかむ。
雪蘭は悲しみの表情のまま、唇をふるわせてこくりとうなずいた。
そっと軽い帝人の体を抱きかかえる。
「ごめんね・・・。ありがとう・・・」
帝人は庚愁に運ばれている途中思い出す。あの頃の幸せだった日々を。
(主上・・・)
「臨也・・・嘘だろ・・・」
「嘘じゃない・・・。帝人くんは失病だ。天は俺が道を外したと見なしたようだね」
ケラケラと笑う臨也に新羅は足下から崩れていくような気分を感じた。
譫言のようになんで、とつぶやく。臨也は新羅の言葉を鼻で嗤った。
「何で?簡単なことだよ。飽きたら壊す。ただそれだけ」
「っ!僕が聞きたいのはそんなことじゃない!どうして帝人くんが苦しんでいるのに君はそのままでいられるのってことだよ!」
新羅はずっと見てきた。この400年間。この男がどれほど、自国の麒麟を大事にしてきたのかを。
だから、失病という麒麟がもっとも苦しむ病にこの男がするはずがないと、そう思っていた。
なのに、今この男の口から失病という言葉が出てきた。
新羅は首に太刀が突きつけられているにもかかわらず、臨也に吠える。
「君はあれほど大事に、大切にしてきたじゃないか!なのになぜ!?」
「お前に言う義務はない」
「臨也っ!」
新羅が必死に叫び声を上げたとき、ある扉から何かがなだれ込んできた。
そのなだれ込んできた物に、新羅は瞠目する。臨也も驚いた顔をしていた。
「しゅじょう・・・」
そこには女怪に抱きかかえられながら、弱々しくやせ細った麒麟がいた。
新羅は帝人のあまりの酷さに、口元を押さえる。失病がこれほど、ひどい物だとは思わなかった。
(斑に見えるあれはなんだ?・・・哀れな)
あれが、あの優しく笑っていた麒麟なのだろうか。その瞳は涙で紅く腫れ上がり、涙の後が痛々しい。
帝人は女怪に支えられながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
「主上・・・。お願いです。どうかこれからは天帝が導く良い治世を・・・」
新羅はそっと顔を背けた。帝人のあまりの酷さに見ていられなくなったのだ。
帝人は腕を伸ばし、臨也の衣を握りしめる。
臨也はそんな太刀を持っていない腕で帝人の腰に手を回し、己の方に抱き寄せた。
「主上・・・」
「ごめんね、帝人くん」
けれど、臨也の言葉は帝人の言葉を拒絶した。ポロポロとまた帝人は涙をこぼす。
新羅も臨也の言葉になぜ!、と吠えた。
「帝人くんのそんな状態を見ても君は何も思わないのかっ!」
「黙れよ新羅」
次の瞬間、帝人の悲痛な叫び声と生々しい肉を断つ音が部屋に響いた。
真っ赤に返り血を浴びた帝人は顔を苦痛にゆがめ、なぜなぜと繰り返しつぶやく。
失病にかかり、さらに血を浴びた帝人にとってこれほどの屈辱と苦痛はない。
「君が、君が悪いんだよ・・・帝人くん」
臨也は泣き出しそうな笑みを浮かべると、帝人のかさかさに乾き青白くなっている唇に自分の唇を当てた。
帝人の瞳が驚愕に見開かれる。
「しゅ、じょ・・・う・・・・」
「君が悪いんだ。君が麒麟で・・・誰にでも慈悲をあげるから・・・誰にでも平等に優しいから・・・だから」
臨也は血塗られた太刀を持ち上げる。帝人の瞳には泣きながら笑う己の王しか映っていなかった。
「・・・君が俺の、俺だけの物に物になれば良かったのに・・・」
臨也はそう言うと、使令に連れて行かれていく帝人を見送り、己の首にも太刀を突きつけた。
来神402年、一国の王朝がその幕を閉じた。