忘れえぬ悪夢
この半年、色々なことがあった。
一つ一つを考え出すときりがないので、村を出て以来のことはなるべく気にしないようにしているのだが、どうしても、忘れられない場面がある。
繰り返し朝方に訪れる、赤い悪夢。
「ヒューゴ! 出かけるのか?」
夢に飛び起きて周囲を見まわしても、そこは見なれないゼクセン風の部屋で、落ちつくことが出来ない。
窓外を見ると薄暗い中に朝の気配があり、ヒューゴは草原に飛び出そうとベッドを抜け出した。
「ジョー軍曹!」
「いつまでもカラヤにいた頃の習慣が抜けないな」
獣騎を引き、まだ寝静まっている店々の間を抜け城門を目指す途中、カラヤから共に戦っているジョー軍曹に呼びとめられた。
「軍曹こそ、こんな早くから訓練してるの?」
軍曹はダッククランの家鴨人で、ヒューゴが知る限りもっとも優秀な戦士であり、ヒューゴに戦い方を教えてくれた人でもあった。
「昼間はやることが多いからな」
親を慕う子どものように、軍曹の後をついてまわる家鴨人たちを思い出す。ダッククランで軍曹はカラヤにとってもルシア族長のような英雄的存在らしい。戦いへの不安もあって、稽古をつけて欲しいと押しかける家鴨人たちを、軍曹はよく面倒見ていた。
辟易した様子の軍曹にヒューゴが笑う。そんな様子を見せながらも、軍曹もまんざらでもないのだろう。
自分やルルも、軍曹から見れば同じようなものだったのだろうな、と。遠くないはずの昔を思い出して、ヒューゴの顔が曇った。
だがすぐに物思いを振り払い、ヒューゴが獣騎を引く。
「じゃ、俺そろそろ行くよ」
「一人でか? フーバーに乗って行け」
「大丈夫」
一人になりたいのだとは言わずに、ヒューゴは獣騎に乗り駆け出した。
「子どもじゃあるまいし、一人で大丈夫だと言っているだろう」
「ダメですって。クリス様を一人で行かせた事が分かったら、後でボリスに大目玉ですよ」
散々草原を駆け回り心地良い疲れを感じて気の根元に横になっていたヒューゴの耳に、風が人声を運んで来た。
男と女が一人ずつ。どうやら我侭をいう女を男が追いかけてきたところらしい。
「お前たちは心配のし過ぎだ。城の周囲を見回るぐらい出来なくて、騎士が勤まるか」
「クリス様がお強いことは知ってますよ。でも一介の騎士と騎士団長では立場が違いますからね」
「どういう意味だ」
「見回りなら俺の役目だってことです。ついでにクリス様の護衛もね」
飄けた様子で男にあしらわれ、女が機嫌を損ねる。
「たまには息抜きも必要だと言ったのは誰だ」
どこにでもいそうな二人だったが、その会話を聞き逃すことができずヒューゴは体を起こした。
案の定、草原を並足で馬を走らせるクリスとパーシヴァルがいる。
悪夢が、鮮明な色と匂いを伴って甦りそうになった。
いつか全てを奪い取ると誓った、女。
クリスが殺気に反応して振りかえる。その目がヒューゴを捉えて困ったように揺れるのを受けとめ兼ねて、ヒューゴは獣騎に乗って駆け出した。
悪魔を憎むのは容易くても、ただの人を憎み続けるのは辛い。
だが朝方の悪夢が、いつまでもヒューゴを離してくれなかった。
『僕は母をグラスランドの盗賊に殺されました』
他の道があると示されても。
どうしてもあの日の美しい悪魔を――――――。
忘れられない。