シザーハンズ
シズオハンズ→シゾーハンズ→シザーハンズ
シズイザハンズ→シザーハンズ
「できねぇ…」
低くうねるように吐き出された声は、普段の彼からは想像も出来ないほどの弱々しさで。
何時も見上げる形で見ていた体躯が、何故か、儚く見えてしまう。
両腕を胸の辺りまで持ち上げ宙にさらし、じっと彼はその腕を手を見つめている。
否、腕では無く、自分の掌を見つめ続けていた。
「できねぇよ」
「……なに、今更言ってんの」
「できねぇもんは、できねぇんだよ。俺には手前を抱きしめられねぇ」
開かれていた掌が、固く握りこまれた。
折原臨也は目の前で苦悶の表情を浮かべる平和島静雄という存在が信じられなかった。
あの平和島静雄が自分の腕を拳を見て、暗澹たる表情を浮かべている。
これは、世界の終焉?それとも地球の滅亡?はたまた人類の消滅か?いや、巨大隕石の襲来かもしれない。全球凍結による生命体の死滅を示唆しているのだろうか。
静雄の顔を見て臨也は不躾にもそう思ってしまった。
何を今更言っているのか。そして明日は地球の最期だっただろうかと―――。
自分の怒りを鎮められない破壊の化身は、瓦礫の渦の中で自我を取り戻し衝動を鎮める。
怒りという感情を制御出来ない平和島静雄が、己の拳を凝視して自分を抱きしめれないと言い放った。
何を今更、だ―――。
散々器物破損、傷害事件を起こしておいて、勝手を知りつくしたような男が、何を出来ないと口にした?
抱きしめられない。
何を馬鹿なことを言っているんだと臨也は思った。
「あのさ。散々俺に物投げつけて殺すだの死ねだの言ってて。一般市民にも公共物にも迷惑かけて勝手にキレて勝手に余計な物まで壊しちゃってるシズちゃんが、人を抱きしめられない?他の人はまぁしょうがないとして、なんで俺まで?何時もの衝動は何処行っちゃったわけ?抱きしめるくらい簡単じゃん。今更、抱けないってどういうこと?俺を殺すより簡単だよ?……ねぇ、シズちゃん!」
「うっせェ!!黙れっ!!」
「っは!何だよ。自分が投げた自販機がたまたま関係無い女子高生に当たったから?掠っただけでしょ?馬鹿馬鹿しい。それで今更自分の力が怖くなったわけ?それで俺を抱けないの?俺が骨折ろうとも出血しようとも顔色一つ変えないくせしてさ。…ほんと、今更何怖がってんだか」
「手前はいちいち長ェんだよノミ蟲!出来ないもんはできねぇんだよ!分かったら消えろ!うぜェ!」
愛用するファー付きの黒いジャケットの両ポケットへ手をそれぞれ入れて、臨也は呆れた表情で静雄へ言う。
臨也の言葉を聞いた途端、静雄の憔悴しきった顔色はすぐさま赤みを取り戻し、何時も通りの自動喧嘩人形という異名らしい顔つきになった。
額には青筋が何本も生まれ眉間の皺は深くなり、柳眉は険しさを増し、猛禽類を思わせる鋭い目つきにギリギリと奥歯を噛み締め沸点を必死に押さえつける。
シズちゃんらしい顔はやっぱこれだよねと臨也は心中でひそかに笑った。
もう、いっそ、爆発してしまえばいいのに。
そして向かってくればいい。
そのまま俺の骨を折る勢いで体当たりでも何でもすればいい。
何をそんなに恐れるのだ、感情に身を任せて荒れ狂う平和島静雄が―――。
埒が明かないと判断したのか静雄は忌々しそうに舌打ちをし胸ポケットから煙草を一本取り出し火をつけた。
怒りを鎮めるために静雄は大きく煙草を吸いこんだ。そしてゆっくりと紫煙を口から吐き出す。
途端、静雄と臨也の前に紫煙が立ち込め、もうもうと煙が空気の中で踊り出す。
もう一度大きく煙草を吸いこみ吐き出した静雄は、くるりと臨也に背を向けて歩き出した。
「ねぇ、ちょっとシズちゃん!」
「………」
「シカト?シズちゃんってば!……あー!もううっざ!これだからメンタル弱い男はモテないんだって」
背後から聞こえる臨也の声を無視し、静雄は黙々と歩き続けた。
話しかけても一向に反応しない静雄に対し、臨也は盛大な舌打ちをくれてやった。
図体でかいくせしてなんて小さい男だ!
取り立ての最中に返済を滞らせていた輩が逃げて、それでソイツを追いかけて逃げ足が速くて払う気ゼロのソイツの反応にキレた平和島静雄さんは怒りのあまりに自動販売機を持ち上げ投げつけました。そうしたらたまたま下校途中だった女子高生が自動販売機の横を通って、女子高生がかすり傷を負いました。嗚呼、シズちゃんはそのことにショックで、自分の力のせいで彼女が怪我を…!自分のこの呪われた力は人を傷つけてしまう!小動物に軽々しく触れようものなら小さな体が軋み、人間を抱きしめようなら骨を砕く?っは!悪いけど女子高生いい迷惑なんだけど!つーか怪我がどうして抱きしめるに発展したの?普段頭悪いくせしてこういう時だけ変に頭が働くからうざいんだよね。てゆーか今更なんでシズちゃんは俺を抱き締めないわけ?シズちゃんが振り回した看板で俺が頭から血を流しても、道路標識でぶん殴られて肋骨折れても、腕を持たれて放り投げれて脱臼しようとも、ぜーんぜん態度変えなかったのに。なんなの、ホント。なんで今更俺のこと抱きしめられないんだよ!
ホント小さい!これだからこの歳まで童貞だったに違いない!絶対この怪物じみた力のせいじゃない。シズちゃんのちっさい心が何時までたっても童貞のままでいさせたに違いない!あー、面倒くさい生き物!
臨也はまた舌打ちをした。
背後を振り返る気配も無い静雄に対し、再度舌打ちを臨也はくれてやった。
憎々しげに今は何故だか小さく見える黒ベストを纏った背中を見て、臨也は駆けだす。
逃げるんじゃねぇ!と―――。
静雄の眼の前まで走った臨也は、仁王立ちをして不敵に笑ってみせた。
ニヤリと口端を上げ三日月形の歪んだ笑みを浮かべた臨也は、素早く静雄の懐へと身を入らせ静雄の両手をまるで自分を抱きしめるかのように組ませた。
重なる腕と手、触れあう洋服越しの体温。そして背後から感じる息遣い。
臨也が懐に入り込み抱きしめる形に躊躇したのか一瞬だけ静雄の身体が跳ねた。
そのビクつきを感じて、臨也はより一層笑う。
顔を後ろに仰け反らた臨也は、にんまりと笑い静雄の顔を見て言い放った。
「こんな簡単なことが出来ないなんて……シズちゃんってほんと、可哀そうな生き物だね!」
End.