満月だった夜
月明かりの下淡く香る花々に囲まれ、薄布一枚の夜着のままリオウは独り屋上に佇んでいた。生温い風が頬を撫ぜてゆく。榛色の眸は茫と満ちる月へと向けられ、けれど心はここではないどこかへと馳せられていた。
どのくらいの間そうしていたろうか、瞬きさえもなく微動だにしないリオウに近付く影があった。闇に溶けるそれがすうと静かに並ぶ。視線を向けずとも、気配からティエルその人と知れた。
「月を、見ていました」
ぽつりと独り言のようにリオウが呟いた。うん、ただそれだけをティエルは返す。
「ミューズで、ふふ、ヘマやらかして牢に放り入れられたとき──ジョウイと誓い合ったときと、同じだな、て」
ほんの少し前のことのはずなのに、もう何年も遠い出来事のように感じる。どこから狂っていったのだろう、どこからすれ違っていったのだろう、あの始まりの峠で僕らは別たれるべきではなかったのだろうか。今さら遅いけれど、けれど想わずにはいられなかった。後悔、しているのだろうか。自身が選び取った道であるはずのそれを。
高く、腕を伸ばす。右手に光る紋章を重ねるように、月へと掲げた。
「月は──ジョウイみたいで。いつも優しく僕を見守ってくれているのに、けれど届かないんです。どんなに手を伸ばしても、そこに確かに在るのに──届かないんです」
そうして拳を握り締め俯く。頬を伝った雫が月明かりに煌めいて、消えた。
「……ごめんなさい。付き合ってくださって、ありがとうございました」
眸を赤く染めて、リオウは振り切るように笑みを浮かべた。わざとらしく欠伸を漏らして伸びを一つ。
「彼が月で君が太陽であるならば、」
踵を返すリオウに視線を向けることもなく、遠くを見やったままのティエルの声が小さく響く。リオウは振り返らない。ただ足を止めて続く言葉を待った。
「月に君の手が届くことは、ないだろう。太陽と月は隣り合い互いを追い求め──けれど決して交わることは、ないのだから」
漏れそうになる嗚咽を堪えるように、リオウはくちびるを噛み締めた。俯き胸を掻き抱く。
「けれど君たちは月でも太陽でも、ない。この地に生きるヒトだ。遠く別たれても、交われぬ道を歩んでいても、希い求める腕を下ろさない限り、届く場所に在る」
そうしてティエルは、ゆうるりとリオウへと向き直った。湖面のように凪いだ眸が静かに少年を見据える。
「愛を月に例えるのは風流だけれどね、君も彼も大人しく空に納まっているような柄ではないだろうに」
ことりと首を傾げるティエルの、影になった眸が月明かりに悪戯に煌めいて──見えた。瞬きの合間にそれはするりと逸らされたけれど、二人見上げた月は、もう涙で揺らぐことはなかった。