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チビとクロウ

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「ユー、ウシワカって知ってるかい?」
 そう言ったのは金髪の男の子だった。これから楽しい内緒ごとを始めるよとばかりに、口元は小さく笑みを含み、それを更に隠そうとするように人差指を立て言霊の行く先を塞ぐ仕草が、幼いながらに妙に様になっていた。
 ユーと呼ばれたのは子犬である。真っ白な毛並みに赤い隅取りが描かれた、小さな子犬。黒目ばかりの丸い瞳を更に丸くして、あん、と一声鳴いた。先端に伸びるに従って神墨を豊かに含んだ尻尾をふさふさと振っている。
 それを肯定ととったのだろう、男の子は「じゃあ」と続けた。
「これはどうかな? ウシワカは死にたがりなんだ」
 意外だったのか、死にたがりと言う言葉自体に不吉さを感じ取ったのか、単に意味がわからなかったのか。揺れていた子犬の尾が止まる。
「イッツトゥルー。ユーたちの前じゃストレングスだったかもしれないけど」
 心なしか不安げな風情で見上げてくる子犬の柔らかな毛並みを撫でながら、男の子はけれど、「それとも、ユーのまえ、かな」と苦笑して呟いた。見栄っ張りだからね、フーリッシズと吐き捨てた。
「月からタカマガハラに逃げてきて、死にたいと思って、天神族の人たちやおかあさまに救われて、生き延びて」
 きゅう、と子犬は鳴いて、自分を撫でる男の子の掌に小さな頭を擦りつけた。男の子は今度は笑わずに、しゃがみこんで子犬を抱きよせた。
 おかあさま、というのは子犬の親のことだ。自分のマザーでもあったらどんなに良かっただろう、と男の子は思っていた。
「タカマガハラを殺して、おかあさまをナカツクニに落として、天神族を皆殺しにして、化け物を世界に放って、死にたいと思って、でもその時できた友達と、やっぱりおかあさまに助けられて生き延びて、たくさんのピープルが死ぬ未来を視て何にもできないで見殺しにして、おかあさまには百年先に死ねと言って」
くう、と子犬が鳴いた。男の子は子犬の額に自分の額をくっつけて、慰めるような子犬の声を聞いていた。
「酷い話だよね、ユー。その百年の間、おかあさまにも同じように、何もしないでたくさんのピープルを見殺しにしろってさ。あのおかあさまにだよ」
 男の子は憤りに息を吐いた。それが鼻先に当たったらしく、子犬がぷち、と小さくくしゃみをしたので男の子は少顔を離して「ソーリィ」と子犬の額から鼻筋を撫でてやった。
「それで死なれたら凄くロンリーでペインフルでデスパイアして死にたいけれど、おかあさまが信じてくれたから死ねなくて、せめておかあさまの盾になれたら良かったのにやっぱり死ねなくて、結局生き延びた」
 あん、と子犬が鳴く。
 その鳴き声はどこか悲しげだったけれど、男の子は子犬と目線を合わせて、影も含みもなく笑った。
 つまりはただのこどものように。
「そんな情けない声を出さないで、リスントゥミー、ユー」
 男の子は本当に明るく言うので、「オーライ?」と首を傾げられて子犬は肯定するように丸い瞳を瞬かせて尻尾を振った。
「オーケイ、じゃあトークしよう、これはグレートな発見なんだ。前提は至ってオミノウスだけど」
 いまわしいと口にする割に男の子は楽しそうだ。
「その前提と言うのは、ミーがウシワカのクローンだということさ。死にたがりの月の男のね。
 だけど、ユーも知っての通り」
 子犬と向き合う男の子は満面の笑みだ。
「ミーは死にたくなかった」

「死にたくないんだ!」
 とクロウが言った。
「ミーはもう、一人ぼっちのこの世界にうんざりなんだよ!」
 泣き叫ぶように、それだけは心から彼は叫んでいた。

「凄いと思わないかい? 死にたがりと全く同じジェネティックメイクなんだよ。バット、ミーは一度だって死にたいなんて思わなかった。ユーに会う前も、一緒に旅した時も、別れた後も。ミーが人形だってわかってても死にたくなかった。一人ぼっちだってデスパイアしたときだって死にたくなかった」
 そこまで言って、男の子は子犬の傍らで背伸びをした。その小さな背中に押しつけられていたものを振り落とすみたいに高く両手を伸ばして空を仰いだ。天を見上げる横顔は晴れ晴れとしている。
 けれど掲げた掌の先にある空は薄く雲に覆われ、太陽は鈍く面影をぼやけさせるだけだ。
「クラウドはノーサンキューだよ、ユー」
 仕方ないなと苦笑して、男の子は自分の膝に纏わりつく子犬の頭を柔らかく撫でた。丁寧に、容を覚えようとでもするように子犬の輪郭に触れた。
「ミーは凄いんだよ、死にたがりを飛び越えた」
 だから本当は男の子は、死にたがりだった月の男が太陽の神様に信じて貰えただけで生きながらえた気持ちも、最後に抱いた覚悟が盾になって死ぬものではなく共に生き残るためのものだったこともなんとなくわかっていた。
 けれどそれを口に出して認めてやれるほど、男の子は大人ではないし、なれなかった。
「ユー」
 と、男の子が呼ぶので子犬は頭を上げた。
「ユーは凄い、ミーをずっと信じてくれた」
 と、男の子が笑うので、薄雲は端に下り太陽の姿を現した。裂けた雲間からは光が帯のように注ぐ。けれど端に纏まり折り重なった雲は、陽光に薄れて分り辛いけれど、暗く淀んだ色を濃くした。
「ミーたちはつまり、大人たちに勝ったんだ」
 男の子は子犬の頭を大事そうに丁寧に撫でてから、再び空を仰いだ。そうして眩しさに目を細めてしまったので、太陽の傍らで項垂れる灰色の雲影を見逃した。
「勝ったんだ」
 嬉しそうな声音で男の子は繰り返した。あん、と子犬も尻尾を振って応える。

「Beautiful the world is」と最期に男の子は言った。

 雨が降る。
 灰色の雲はその内側に溜めこんだ水の重さに耐えきれなくなったのだろう。陽光と一緒に空から落ちてくる雨粒は細かく、きらきらと瞬くように輝く。
 雨粒は男の子の髪と同じ色だ。
 それは子犬の容をした小さな神様の上に音もなく注がれる。小さな水滴は小さな神様の身体の表面にくっつくだけで、身体の芯まで冷やそうとするものではない。柔らかく毛並みをなぞるだけのそれは、まるであの男の子が撫でるように優しい。
 けれども雨、打たれ続ければいつかその水は男の子の掌の温かさを浚って行ってしまうものだから、小さな神様は雨を止ませようとしたけれど、奇妙なことに上手くいかない。
 さらさらと、雨は小さな神様の上に降り続ける。
作品名:チビとクロウ 作家名:F供花