はつこひ。
「静雄、こっちだ」
中学時代から世話になっている先輩に呼ばれ、静雄は長い足でそちらに向かう。静雄にとっても数少ない普通に接してくる人間である田中トムは、いつもよりどこか機嫌良く見えた。
「何かあったんスか?」
「ん?そう見えるか?」
こくりと頷くと、トムはにやりと笑って、「とりあえず付いてこいよ」とそのまま屋上に向かって歩き出す。その数歩後ろを付いていく形で、静雄も彼の後を追った。
屋上には珍しく人気が無かった。あの平和島静雄が来た時点で閑散となったわけだが、静雄にはどうでもいいことなので気にもしなかった。トムはぐるりと顔を巡らせ、何かを探す。つられて静雄も視線を動かすと、ドアからは死角になった場所に、誰かの背中が見えた。思わず「あ、」と零した静雄に、トムも顔を向ける。
「お、居た居た」
なるほど、あれがトムの探していた人間かと静雄はぼんやりとまだこちらに気付いていない背中を眺める。
「おーい、帝人ー」
(みかど)
静雄がその名に目を瞠ると同時に振り返った背中。
心臓がどくりと音をたてて鳴った。
「トム」
声が、響く。そちらへと歩くトムに付いてくことすら忘れて、静雄は振り返ったその人を見ていた。
「もう、呼び出すのはいいけど、うろうろしないでよ。探したじゃないか」
「すまんすまん。まあこいつ連れてきたから、許せ」
「こいつ?」
視線が合う。ぎくりと身体が強張った。きょとんと蒼い眸が瞬く。
小さな唇が動いた。
「君は、」
(ああ)
眩暈がするほどの感情の波に包まれる。
静雄は彼を知っていた。
知ってからずっとずっと想っていた。
すらりと伸びた背筋。
凛とした横顔。
淡く光る蒼い眸。
薄く結ばれた唇。
清廉さと潔白さ、そして厳かな空気を纏い、その人は静かに弓を構えていた。
放たれた一矢が的に吸いこまれた時、静雄の胸に突き刺さったのは、きっと、
「・・・トム、呼び出しってこのこと?」
「ああ。てかもっと驚くかと思ったけど、そうでもないな。つまらん」
「充分驚いてるよ。あと僕の反応見て楽しまないでくれる?」
ぽんぽんと進む会話に静雄が未だ呆然と立ち竦んでいると、くるりと顔が向けられ静雄がびくっと身体を震わせた。恐怖とかではなく、こう羞恥のようなそんな気分が渦巻く。
「えーと、僕は竜ヶ峰帝人。初めまして、平和島静雄君」
「っ、・・・俺の、名前」
「?・・ああ、トムからよく聞かされてたから。金髪で大きくて強い後輩が居るってね」
「よく言うぜ、聞いてきたのはお前のほうだろが。―――こいつ、こんな顔してんのに、結構好きもんでな。お前の武勇伝とかめちゃくちゃ興味津津でな、俺質問されまくりだったぜ」
「ええー、だってすごいじゃない。ガードレールとか標識とかおもちゃみたいに扱えるんでしょ?僕よりは大きな掌だけど、変わらないように見えるのになぁ。・・・・平和島君、ちょっと手触ってもいい?」
「はっ?!」
「おいおい帝人、それだとセクハラだぞ」
「あ、そうか、ごめんつい」
「ったく、ほんと好奇心で首突っ込むの止めろよなぁ。わりィな、静雄。こいつ悪気はねぇんだ」
「や、別に気にしてねぇっスけど・・・・・」
静雄はちらりと帝人の顔を見た。トムに止められ、少しだけ不貞腐れた、己より一つ上の癖して幼くあどけない顔にどくりと鼓動が高鳴る。
今度はトムに視線をやると、トムがにやりと笑ったのを見て、尊敬するこの先輩は何もかも知った上で静雄と帝人を引き合わせたのだと知る。敵わないと思うと同時に、できれば前もって言って欲しかったとどこか恨めしげな気持ちになるのは致し方がない。サプライズすぎて、静雄の頭は真っ白なのだ。あの時見た横顔が今目の前にあって、静雄に話し掛け笑っていることが信じられない。何かを言おうとして、けれど何を言えばいいかわからずに口をもごもごさせている後輩に苦笑しつつ、トムは助け船を出す。引き合わせた本人としては、この出会いを悪い物にはさせたくないのだ。
「実はな、静雄もお前のこと知ってたんだよ」
「へ?」
「なっ、先輩!」
「いいからいいから。・・・・お前、春休み一度も休まずに練習来てただろ?」
前半は静雄に、後半は帝人に告げる。
「まあ、特にやることなかったからね」
「相変わらず部活の鬼だよなぁ。・・・・まあ、いつだったかは忘れたけどよ、休みん時に一度こいつを高校まで案内したのさ」
途中逸れた静雄を見つけたのが、弓道部前で。後輩はただ一点に目を奪われたまま、動こうとしなかった。彼の視線を支配していたのが、トムの友人である、竜ヶ峰帝人だった。それからと言うもの、話しかけても生返事しかしない後輩に、帰り際トムは冗談交じりで「惚れたか?」と聞いたら、それはもう真っ赤な顔をした後輩が出来上がってしまったのだ。余談だが、混乱した後輩の手によってその日池袋から二つばかし自販機が減った。とんだ照れ隠しもあったものだ。
そんな諸々は省くとして(言ってしまえば静雄に殺されかねん)、部活中の帝人を静雄が見かけたのだと言えば、帝人は少しだけ驚いて「それだけ?」と不思議そうな顔をした。
「それだけってお前」
「え、や、だって僕特に弓道に秀でてるわけでもないし、興味を惹かれるとこはないと」
「っそんなことねぇ!」
とっさに出た声に目の前の蒼い眸が驚いたように瞠るのを見てしまったと思えど、止まらなかった。
「俺は弓道のこととかよくわかんねぇけど、でも、あんたがやっているの見てすげぇって思ったし、それにキレイだって、・・・ってそれは別に変な意味じゃなくてそのまんまの意味で、だからその、」
(ああくそっ何言ってんだ俺!)
自己嫌悪と羞恥心で顔を覆った静雄の耳に届いたのは、澄んだ笑い声だった。
「へ、」
思わず手を外し、彼を見る。
青い空をバックに、彼は鮮やかに笑っていた。
「平和島君って、良い子なんだねぇ」
良い子なんて言葉遠い記憶に彼方でしか言われた事がなかったことと、その笑顔に、静雄はただ黙って見惚れるしかなかった。
遠慮無しの友人の笑い声にトムは一瞬ひやりとしたが、後輩を見るとぼけっと突っ立っているだけで特に暴れる雰囲気も無かったのでほっと胸を撫で下ろす。
(しかしまあべた惚れだなぁ、こいつ)
トムは第三者だからわかるが、帝人を見る静雄の眸の熱は見守るこちらがむず痒いほどだ。向けられている本人はというと、様子を見るからにして気付いていないだろう。
(これは長期戦になるぞ?)
心の中で友人に恋をした後輩に声を掛ける。偏見は無い。むしろ見守るか、多少のお節介はしてやろうという気分になる。
気の置ける友人と不器用な後輩の恋。さてどうなることやら。
とりあえず固まったままの静雄と、ツボに嵌まったのか笑い続ける帝人という光景から話を進める為に、トムは口を開いた。
これから面白くなるなと思ったのは、二人には内緒である。
(一つアドバイスしてやるが、あいつ結構モテるからな)
(!?マ、マジっすか?)
(お前みたいな特殊な人間が寄ってくるんだよ)
(とくしゅ・・・・)
(そういうことだから、黙って見てるだけだと横から掻っ攫われるぞ)
(っ、・・・・おぼえとくっす・・・)