春眠 / サンプル
石田が泊まった朝は、決まって朝食の仕度の音で起こされる。当然隣に石田の姿はなく、たまには先に目を覚まして寝顔を見たり昼までベッドの中で過ごしたり、そんな甘ったるいことをしてみたい。しかし自分の時間で動く石田にそれを期待するのはなかなか難しいのだった。
毛布の下でぐずぐずしていると、部屋の中にバターとパンの馴染む匂いが漂い出した。
「もうごはんできるよ、ホラ起きて!」
そう言って、石田はうつ伏している茶渡の尻の辺りを踏んづけた。渋々起きるふりをして、出来立ての朝食が並ぶテーブルを見る。
昨日のポテトサラダと、厚切りハムとスクランブルエッグ、フレンチトーストにはお気に入りの蜂蜜。石田はフォークを二人分揃えながら
「牛乳でいいんだよね?」
と聞いてくる。あぁなんてベタで幸せな光景。本当の幸せはベタな世界にこそ存在する。
茶渡は今にもスキップし出しそうな足取りでクローゼットへ向かった。似たような服しか入っていないので選ぶのにそう時間はかからない。今日はでかける気などなく、石田を捕まえて一日ごろごろしていたいのだ。だから着るものなんてなんでもいい。
が、今日はクローゼットの中身はいつもと少し……いや大分違っていた。クローゼットの扉を開けてその取っ手を掴んだまま、茶渡は中を眺めた。左端から右端までを見た。それから、上端から下端を見た。そうして扉を閉めるともう一度ゆっくり開け、中に下がっている服を一枚抜き出した。
それは真っ白なナース服だった。一緒にぶら下がっているジッパー付の透明ビニール袋の中には、ご丁寧にナースキャップになるであろう変わった形の白い布とピンと、なぜかガーターベルトと網タイツも入っている。
露骨に悪いものを見た表情で、茶渡はそれをクローゼットに戻した。下がっている服の群れに両手をつっ込んで掻き分ける。最近よくTVで見るようになったメイド服、オレンジの眩しいウェイトレスエプロン、ミニスカポリスに赤いスカーフのセーラー服。スク水、紺ブルマ。バニーガール(耳・カフス・網タイツ付)にバドガールワンピース、秘書風ボディコンスーツに赤ジャージ。
掻き分けても掻き分けても出てくるのは俗に言う萌え系 コスプレ衣装ばかりで一向に自分の服が見つからない。はっとして他の衣装ケースを漁ってみると、そこにはコスプレ衣装の侵略を逃れたらしいシャツやパンツが入っていた。
しかし安心したのもつかの間、それらを着ようと引きずり出すと襟や袖にたっぷりゴージャスなフリルやレースが踊っており、
「ベルバラか!」
とつっ込まずにはいられなった。
『…一体何が起きた…?』
昨晩まではなんの異常もなかったクローゼットの中をもう一度眺める。自分以外にこの部屋に入れるのはマスターキーを持っている大家か、隣の部屋で鼻歌を歌いながらTVを見ている愛しのメガネ(の台の人)くらいである。この場合はどう考えても八割方犯人はメガネ(の台の人)になる。
茶渡はさっきのナース服を出してみた。そうして、きっと石田が自分を驚かそうとこんな悪戯をしたに違いないと思った。そもそも茶度のクローゼットに入っているからといって、茶渡自身が着るためのものと決まっているわけではない。
だったら網タイツより白タイツの方がいいなぁ、などと暢気なことを呟きながら、
「お大事にどうぞー」
と、ふざけて自分の体に当ててみた。それが恐ろしいことに自分にジャストサイズだと気付き、茶度はついに畳の上にドスンと膝をついて天を仰いだ。犯人がメガネ(の台の人)に確定した瞬間であった。
悲しげな唸り声が聞こえたのか、いつまでも食卓に現れない茶渡を心配したのか
「どうかしたの」
と石田が顔を出した。
「あぁ石田…ちょっと確認したい んだ が ……その…服はなんだ」
さっき見た時は確か薄手のニットに白いパンツを穿いていたはずだった。その石田が………メイド姿で部屋に入ってきた。
大きなパフスリーブにパニエで膨らませたミニスカート、白いオーバーニーソックスとヘッドドレスの両端にはリボンがついてそれが石田の両頬の傍で揺れる。その姿に茶渡は目が眩んで、ガツンと派手な音を立ててクローゼットの扉に後頭部をぶつけた。
「かわいい?」
そう言って肩を竦めてはにかむように笑う石田は、なぜかこれまでないくらいに可愛かった。朝食の前に別な給仕を頼みたいくらい可愛かった。今のお前ならしょこたんにも負けないぞ、石田。
と、茶渡が頭の中で盛大な声援を送りつつ頷いてしまったのをどう受け取ったのか、石田は急に活気付いてクローゼットの中から適当な何枚かを引っ張り出した。
「そう言ってくれると思ってホラ、君のも全部買い揃えておいたんだ!どうかな…あ、このウェイトレスの格好の時はローラースケートを履くんだよ!」
マニアックな上に平成育ちが言うにはいささか古い注文である。
「ほら、早く着替えなよ」
「えっ?いやっ俺はっ」
「このスーツなんて絶対似合うと思うんだ…大丈夫、ちゃんと見ていてあ・げ・る・か・ら!」
「視姦プレイ って違う、そういうことじゃなくて!」
まるでトイレの個室で、破裂までカウントテンを切った巨大な風船を持たされている気分だった。しかも風船は膨らみ続けている。実際そんな目に遭ったことはないが、遭ったらこんな気持ちなのだろう。
額も背中も腋の下も変な汗で気持ちが悪い。とにかく、この巨大風船を萎ませるにはどうすればいいか、そうだ、空気元を断ってしまえばいい。
茶渡はやっと石田の両肩を掴んで彼の背にしている壁に押し付けた。その異様な気迫に、さすがの石田も黙り込んで、コク、と唾を飲み込んだ。
「茶渡…くん?」
「あのな石田」
「うん、なぁに」
「…石田…俺は…」
「……そんな…そんなに似合うなんて…」
「は!?」
うっかり目の前の笑顔に鼻の下を伸ばしそうになったが、おかしな言葉に自分を見るとさっきふざけて合わせてみたナース服が体を包んでいた。しかもナースキャップはもちろん、網タイツもばっちり装着、更にスカート部分は足の付け根付近までスリットが入っていて、茶渡は思わずキャーと言ってその部分に無理矢理布を合わせようとした。
「やっぱり僕の眼に狂いはなかったね!」
石田はそう言って、嬉しそうに笑って首に抱きついてきた。
「違う石田、ちょっと待て、おかしいと思わな いか こ
ん な あぁぁ あ …!」
虚空を掴む自分の右手が目に入った。手の向こうには天井があった。いやに背中が寒いのは、大量にかいた汗のせいだ。
そういえば首に抱きついてきたはずの石田がいない、と隣に首を向けると彼は壁の方を向いて眠っていた。
「……ふく…!」
ソファベッドから転がり出ると、まず自分の今の姿を確認した。ベッドに入った時と同じ格好だと分かると次にクローゼットへ向かい勢いよく扉を開け、続いて衣装ケースの引き出しを片っ端から開けて中身を掘り出した。そうしてなんの異常もないと分かると、ベッドへ戻ってきた。
安心した途端グッと眠気が強くなった。時計を見るとまだ4時で、当たり前かと毛布の下にもそもそ入り込んで暫く、最後の不安を取り除くために茶渡はこれまた勢いよく毛布と掛け布団を跳ね上げた。
毛布の下でぐずぐずしていると、部屋の中にバターとパンの馴染む匂いが漂い出した。
「もうごはんできるよ、ホラ起きて!」
そう言って、石田はうつ伏している茶渡の尻の辺りを踏んづけた。渋々起きるふりをして、出来立ての朝食が並ぶテーブルを見る。
昨日のポテトサラダと、厚切りハムとスクランブルエッグ、フレンチトーストにはお気に入りの蜂蜜。石田はフォークを二人分揃えながら
「牛乳でいいんだよね?」
と聞いてくる。あぁなんてベタで幸せな光景。本当の幸せはベタな世界にこそ存在する。
茶渡は今にもスキップし出しそうな足取りでクローゼットへ向かった。似たような服しか入っていないので選ぶのにそう時間はかからない。今日はでかける気などなく、石田を捕まえて一日ごろごろしていたいのだ。だから着るものなんてなんでもいい。
が、今日はクローゼットの中身はいつもと少し……いや大分違っていた。クローゼットの扉を開けてその取っ手を掴んだまま、茶渡は中を眺めた。左端から右端までを見た。それから、上端から下端を見た。そうして扉を閉めるともう一度ゆっくり開け、中に下がっている服を一枚抜き出した。
それは真っ白なナース服だった。一緒にぶら下がっているジッパー付の透明ビニール袋の中には、ご丁寧にナースキャップになるであろう変わった形の白い布とピンと、なぜかガーターベルトと網タイツも入っている。
露骨に悪いものを見た表情で、茶渡はそれをクローゼットに戻した。下がっている服の群れに両手をつっ込んで掻き分ける。最近よくTVで見るようになったメイド服、オレンジの眩しいウェイトレスエプロン、ミニスカポリスに赤いスカーフのセーラー服。スク水、紺ブルマ。バニーガール(耳・カフス・網タイツ付)にバドガールワンピース、秘書風ボディコンスーツに赤ジャージ。
掻き分けても掻き分けても出てくるのは俗に言う萌え系 コスプレ衣装ばかりで一向に自分の服が見つからない。はっとして他の衣装ケースを漁ってみると、そこにはコスプレ衣装の侵略を逃れたらしいシャツやパンツが入っていた。
しかし安心したのもつかの間、それらを着ようと引きずり出すと襟や袖にたっぷりゴージャスなフリルやレースが踊っており、
「ベルバラか!」
とつっ込まずにはいられなった。
『…一体何が起きた…?』
昨晩まではなんの異常もなかったクローゼットの中をもう一度眺める。自分以外にこの部屋に入れるのはマスターキーを持っている大家か、隣の部屋で鼻歌を歌いながらTVを見ている愛しのメガネ(の台の人)くらいである。この場合はどう考えても八割方犯人はメガネ(の台の人)になる。
茶渡はさっきのナース服を出してみた。そうして、きっと石田が自分を驚かそうとこんな悪戯をしたに違いないと思った。そもそも茶度のクローゼットに入っているからといって、茶渡自身が着るためのものと決まっているわけではない。
だったら網タイツより白タイツの方がいいなぁ、などと暢気なことを呟きながら、
「お大事にどうぞー」
と、ふざけて自分の体に当ててみた。それが恐ろしいことに自分にジャストサイズだと気付き、茶度はついに畳の上にドスンと膝をついて天を仰いだ。犯人がメガネ(の台の人)に確定した瞬間であった。
悲しげな唸り声が聞こえたのか、いつまでも食卓に現れない茶渡を心配したのか
「どうかしたの」
と石田が顔を出した。
「あぁ石田…ちょっと確認したい んだ が ……その…服はなんだ」
さっき見た時は確か薄手のニットに白いパンツを穿いていたはずだった。その石田が………メイド姿で部屋に入ってきた。
大きなパフスリーブにパニエで膨らませたミニスカート、白いオーバーニーソックスとヘッドドレスの両端にはリボンがついてそれが石田の両頬の傍で揺れる。その姿に茶渡は目が眩んで、ガツンと派手な音を立ててクローゼットの扉に後頭部をぶつけた。
「かわいい?」
そう言って肩を竦めてはにかむように笑う石田は、なぜかこれまでないくらいに可愛かった。朝食の前に別な給仕を頼みたいくらい可愛かった。今のお前ならしょこたんにも負けないぞ、石田。
と、茶渡が頭の中で盛大な声援を送りつつ頷いてしまったのをどう受け取ったのか、石田は急に活気付いてクローゼットの中から適当な何枚かを引っ張り出した。
「そう言ってくれると思ってホラ、君のも全部買い揃えておいたんだ!どうかな…あ、このウェイトレスの格好の時はローラースケートを履くんだよ!」
マニアックな上に平成育ちが言うにはいささか古い注文である。
「ほら、早く着替えなよ」
「えっ?いやっ俺はっ」
「このスーツなんて絶対似合うと思うんだ…大丈夫、ちゃんと見ていてあ・げ・る・か・ら!」
「視姦プレイ って違う、そういうことじゃなくて!」
まるでトイレの個室で、破裂までカウントテンを切った巨大な風船を持たされている気分だった。しかも風船は膨らみ続けている。実際そんな目に遭ったことはないが、遭ったらこんな気持ちなのだろう。
額も背中も腋の下も変な汗で気持ちが悪い。とにかく、この巨大風船を萎ませるにはどうすればいいか、そうだ、空気元を断ってしまえばいい。
茶渡はやっと石田の両肩を掴んで彼の背にしている壁に押し付けた。その異様な気迫に、さすがの石田も黙り込んで、コク、と唾を飲み込んだ。
「茶渡…くん?」
「あのな石田」
「うん、なぁに」
「…石田…俺は…」
「……そんな…そんなに似合うなんて…」
「は!?」
うっかり目の前の笑顔に鼻の下を伸ばしそうになったが、おかしな言葉に自分を見るとさっきふざけて合わせてみたナース服が体を包んでいた。しかもナースキャップはもちろん、網タイツもばっちり装着、更にスカート部分は足の付け根付近までスリットが入っていて、茶渡は思わずキャーと言ってその部分に無理矢理布を合わせようとした。
「やっぱり僕の眼に狂いはなかったね!」
石田はそう言って、嬉しそうに笑って首に抱きついてきた。
「違う石田、ちょっと待て、おかしいと思わな いか こ
ん な あぁぁ あ …!」
虚空を掴む自分の右手が目に入った。手の向こうには天井があった。いやに背中が寒いのは、大量にかいた汗のせいだ。
そういえば首に抱きついてきたはずの石田がいない、と隣に首を向けると彼は壁の方を向いて眠っていた。
「……ふく…!」
ソファベッドから転がり出ると、まず自分の今の姿を確認した。ベッドに入った時と同じ格好だと分かると次にクローゼットへ向かい勢いよく扉を開け、続いて衣装ケースの引き出しを片っ端から開けて中身を掘り出した。そうしてなんの異常もないと分かると、ベッドへ戻ってきた。
安心した途端グッと眠気が強くなった。時計を見るとまだ4時で、当たり前かと毛布の下にもそもそ入り込んで暫く、最後の不安を取り除くために茶渡はこれまた勢いよく毛布と掛け布団を跳ね上げた。