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「朝のキッチン」「髪を撫でる」「傘」

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 ぺたぺたと近づいてくる足音を聞きながら、静雄は淡々と手を動かしている。裸足の足裏がひっつくような音は毎朝聞いているもので、歩み寄ってくる人間はひとりしか考えられない。呼ばなくても来てくれることがわかっているから、彼は口を閉じたまま振り向かない。それよりも朝ごはんを仕上げることのほうが大切だ。
「おはようございます、静雄さん」
 果たして近づいてきた少年は、眠そうな目をこすりながら静雄のとなりに立ち、夢の名残にとろけた声で律儀に挨拶をした。それから、そっと静雄の手元をのぞきこむ。ぶかぶかのパジャマは静雄のもので、腰にひっかからないからズボンははいていない。いい加減彼の持っている部屋着を持ってこさせるか、あたらしいものを買ってやらねばと思っているのだが、彼がその必要を否定するものだから静雄にはどうしようもない。
「おはよう。フレンチトーストとサラダ。食えそうか?」
 ひとりで暮らしているころは、面倒だから朝食を抜いて寝ていることもしばしばだった。しかし、帝人といっしょに暮らしはじめてからは、彼が朝から学校に行くから、それに合わせて起きて朝食をつくり、いっしょに食べて彼を送り出している。まるで母親のようだ。しかしあまり器用ではない静雄がたいしたものを食べさせられるわけはなく、それが少し申し訳ない。少年は、自分ひとりのときよりずっといいものを食べている、と言ってくれるから、それだけが救いなのだけれど。
「あ、おいしい」
「こら、つまみ食いするな」
 後方のテーブルには白い皿が置かれていて、そこには既に焼きあがったぶんがのせられている。振り向けばいつの間にか移動した帝人が頬をふくらませていて、さらにのせたフレンチトーストが一切れ減っている。フライ返しを置いて、その手でぺしりと軽く少年の頭をはたいた。
「だって冷めちゃうじゃないですか」
「だったら、席について食え」
 そう言ってから、ふたたびフライ返しを手に持ち、じゅうじゅうと音を立てるフライパンをちらりと一瞥する。もう少しで自分のぶんもできあがりそうだ。この調子ながら、帝人が食べ終わる前に食卓につくことができるだろう。
「はあい、」
 帝人は返事をしながら冷蔵庫からオレンジジュースを取り出すと、ガラスのコップにとぷとぷと注いだ。食器棚の引き出しから取り出したフォークとコップを持って、席に着くとすぐに、あまく香ばしい香りを放つ獲物にフォークを突き刺して、頬張りはじめる。静雄の目から見ると彼はあまりに痩せているから心配していたのだが、結構いい食べっぷりだ。それを確認するたびに彼はついほっとしてしまう。
「今日は雨らしいぞ。傘、忘れるなよ」
 起きてすぐにつけたテレビではちょうど天気予報が流れていて、それを思い出した静雄はみじかく告げる。制服が濡れるとめんどうだし、何より彼が風邪を引いてしまってはたいへんだ。
しかし、静雄の忠告に対するいらえはなく、振り返ってみれば帝人はもぐもぐと口いっぱいにフレンチトーストをつめこんで、まるでハムスターのようなすがたになっている。
「ぜったいに忘れるなよ」
 焼きあがったフレンチトーストをあたらしい皿にのせながら、静雄は重ねて忠告する。
「静雄さんは相変わらず心配性ですね」
 顔をしかめて念を押した静雄を見て、慌ててごっくんと口の中にあったものを嚥下した帝人は、ふにゃりと眉を下げた。
「誰のせいだと思ってんだ」
 くすくすとおかしそうに笑う帝人の髪の毛をくしゃりと撫でて、静雄はくちびるをとがらせる。几帳面そうに見えて自分のことには無頓着なお前のせいだろう。言外にそう告げると、少年は居心地悪そうにわずかに肩を揺らした。