金糸雀はサカナの夢を見るか
寝付けに飲んだ甘いワインは、ただ頭の片隅に酔いを残しただけで、青年は眠るわけでもなく、何度も寝返りを打って、やわらかな少女の声の中にいる。温い水の中にたゆたうような、酩酊感があるのに、眠りに落ちることはない。
少女は歌い、物語をつむぎつづける。それを彼が望むからだ。籠の隙間から、白い脚が揺れている。籠の中で、彼女は自由にふるまっている。彼はただ、少女にここにいて、歌をうたって、話を聞かせてくれたらいいとかんがえている。
彼はシャフリヤールではないので、話が終わったからといって、少女を殺してしまうつもりはなかった。そもそも、少女は巫女としては既に死んでいた。もう役に立たない。殺したのは、青年だった。
ふと少女の歌が途切れ、訝しんだ青年はからだを起こした。淡い光の中から、あどけない声が届く。
「また、ねむれないの?」
「ねむれないよ」
彼は、そっけなく答える。飲みかけのグラスから、あの甘ったるい香りが漂っていて、頭の片隅は眩んで、なのにやけに醒めている。少女は小首を傾げて、彼を眺める。その視線の前では、どちらが籠の中にいるのか、わからなくなる。
閉じ込められたのは、誰か。少女か、金糸雀か魚か、あるいは、俺か。
「いつもねむれなくて、たいへんね」
「ああ、そうだ。ちっとも眠れやしない。話のつづきを聞かせてくれるかい?」
「さかなの惑星のお話?」
「そう」
「そうね…どこまで話したかしら」
「サムと少女が、イカを食うところかな」
「ええ、そうだった…ふたりが秘密を持ったところね」
少女は物語を思い出すよう目をつむる。少女は遠い果てを見るように視線をさまよわせる。遠くからやってくる微弱な通信をとらえようとしているかのように。
「なあ、さかなの惑星はどこにあるのかな」
「遠くよ」
「どれくらい?」
「ずっと遠く……まばゆい銀河の向こう、宇宙の果てくらい」
「そんな遠くまで、どうやったら、行けるんだろう」
「行きたいの?」
「まあね。悪くないだろう」
「ここには、船はないわ」
「そうだなあ」
瞼を閉じると、まばゆく銀河のきらめきが見えそうだ。それはただの幻に過ぎないことを青年は知っている。
「船があったら、俺が船を持ったら、一緒に行ってくれるかい? サカナちゃん」
少女は、歌い始める前のように息を深く吸い込み、小首を傾げる。
「そうね…わるくないわ」
「わるくない、か」
くっと笑いがこみあげて、からだを反転させて仰向けになる。天井は高く、星空は見えない。かがやく銀河など決してたどりつけそうになく、暗闇だけが深い。少女の歌は闇に吸い込まれ、冒険という名の物語はまだまだ続く。
作品名:金糸雀はサカナの夢を見るか 作家名:松**