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下衆の勘繰り

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 それは下種の勘繰りというものだと知ってはいるけれど――。



 大人の男のひと(しかもとてもかっこいい)が夏目と一緒にいるところを見かけた。男は校門の前で夏目を待ち伏せていて、昇降口から出てきたばかりの彼にひらひらと優雅な仕草で手を振った。夏目はものすごくいやそうに顔をしかめたけれど、男は意に介する様子などちっともなく、細い肩を抱き寄せて歩き出す。そこまでしか見ていることができなかった。おれはすぐに顔を背けてしまったから。わずかに網膜に刻まれた残像。なんとなく見覚えのある顔だな、と思っていると、ざわめく女子たちの声から男が俳優であることを知った。端正な顔も当然のことか、と納得したけれど、当然ながら気持ちの整理はつかない。
 彼らと鉢合わせしないように、すこし時間を置いてから帰った。そのすこしの時間にも、家路につくまでのあいだも、おれはずっと考えていた。夏目はあのひとはどんな関係なのだろう。どんな話をするのだろう。もしかしてあのひとは、おれよりずっと夏目より近いところにいるのだろうか。本人に尋ねればあっさりと答えが出るだろうに、おれはきっとこの醜い嫉妬を抱えたままぐるぐると考え続けてしまうのだろう。夏目は答えてくれないかもしれない。きらわれてしまうかもしれない。好ましくない答えを得るかもしれない。さまざまな可能性を想定すれば、そのたび足はすくんで、一歩も動けなくなってしまう。
(情けないな……)
 己の不甲斐なさに、おれはくちびるを噛み締めた。それでも情けないなりにこの不満は抱えたまま、彼にはぶつけないでおこうと思ったのに、それは一ヶ月ほど経ったころ、簡単に爆発した。

 ふたたびあの男が学校を訪れたのだ。ざわざわと周囲が騒がしくて、有名人が来ているらしいという女子の話が聞こえていやな予感がした。ちらと目をやった校門には、果たしてかの俳優が立っていた。そして、おれが見つめる先で、夏目が彼に駆け寄った。
彼らは、以前よりもずっと親しそうだった。夏目はあのときに比べて、ひどくやわらかい、くすぐったそうな笑みを浮かべていた。それは自分や友人たちにしか見せないものだったはずなのに。
 いつの間にそのひととそんなに親しくなったの。そう問いかけるのは、むずかしいことではなかったけれど、とてもむずかしいことだった。

 夏目が彼と話を終えて戻ってくるころには、クラスメートたちも興味を失ったらしく、皆帰宅していた。それをいいことにおれは、鞄を取りに来た夏目を教室で押し倒した。

首筋をきつく吸うと夏目はその意図を素早く察したらしく、おれの顔をぐいと押しのけた。痛かったのか、怒っているのか、涼しい美貌をくしゃくしゃに歪めて彼はくちびるをとがらせる。おれもまた頬をふくらませてふたたび白い肌に顔を寄せようとしたけれど、やはり小さな手のひらに阻まれてしまう。額に触れるその体温は少しひんやりとしていた。ささいなちからは抵抗と呼ぶほどのものではなく、おれは手のひらを押して、ふたたびくちびるを近づける。
「田沼、やめろってば」
 ガツン、とグーで頭のてっぺんを殴られる。容赦のない鉄槌は、妖怪たちに対するものと同じで、痛みはおおきかったけれど、うれしくもあった。
「見えるところにつけないでくれって言ったろ?」
 おれはくちびるを引き結び、ありったけの不満を、言葉ではなく視線でぶつけてやるくらいの気持ちでじっと夏目を見つめた。しばらく、ふたりのあいだに沈黙が横たわる。意地になってくちびるを引き結んでいると、やがて彼はやれやれとでも言うようにため息をついた。降参だ、とちいさくつぶやくのが聞こえる。
「ほら」
 そっと、しかしいささか乱暴な仕草で開かれた脚に、おれは目を見張った。真っ白でやわらかい肉が視界に広がる。
「え」
「ここならいいよ」
 桜色の爪がふとももの付け根の内側をつう、となぞる。体育の授業で着替えるときだって、こんな場所までは人前に晒すことはない。ここなら大丈夫だから、とやさしげな指がおれを誘う。激しい目眩を感じながら、抗い難い誘惑は甘すぎるがゆえにすぐには信じることができない。自分の都合のいい夢なんじゃないかって、そんな風に思ってしまう。
「うそ……」
 ぽつりと、くちびるから反射的にそんな言葉がこぼれ落ちる。呆然としていると、夏目がくちびるをゆがめた。
「嫌なら別に――」
 そう言った彼が目じりをすこしあかくしてそっぽを向いたのを見てようやく、おれはこれが現実であるということを意識した。
作品名:下衆の勘繰り 作家名:きりゅ