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それはきっと、最初で最後の

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「・・・ごめんなさい」

彼女はそう言った。
彼は言葉がつかえて何も言えなかった。伝えたい言葉が、記憶から消えてしまったのだろうか。その言葉は彼の口からはどうしても出てきてくれない。

「ありがとう。こんな私を・・・想ってくれて」

彼女の口からもその言葉は出てこない。

「あなたといるとね、一番大事なものが、絶対的なものが、薄れそうになるの」
とつとつと語る彼女の目はまっすぐに彼を見つめていた。そして彼もまた彼女を見つめていた。

「それはね、あってはならないことなのよ。もしそんなことが起こってしまったら私は、」

きっと、壊れてしまう。
二人の間には大きな隔たりがあった。それはどうしても、とてつもなく厚く、大きく複雑で、ことあるごとに二人の間に、目の前に、立ちはだかるのだった。

「私・・・最低ね。ずっとあなたに甘えて、あなたの、気持ちを利用して・・・。あなたのことを、傷つけた」

彼女の独白は続く。彼の声は未だ喉の奥に留まったまま出てこず、話を止める事ができない。

「今まで本当にありがとう」

−−嫌だ。
このままでは終わってしまう。嫌だ。待ってくれ。
それでも声帯は声を出すことを忘れてしまったかのように黙りこくっている。

「助けてくれて・・・好きに、なってくれて・・・。ごめんなさい。私が、もっと、強かったらよかったのにね・・・。そしたら、あなたのこと・・・」

−−俺はもっとまともな人間だったら。
そうだったなら、彼女を傷つけてしまう恐れはなかったのではないか。愛しい人間たちに向けられていた欲目が彼女に向いてしまうのではないかと、そう言って怖がることはなかったのではないか。
彼女を失いたくなかった。自分が傷つくのが嫌だった。

「・・・」

彼女が口を開く。
いよいよ終わる。終わってしまう。
これがおそらく最後の言葉。
視界が霞む。これはきっと目に溜まる涙のせいだけではない。恐怖。絶望。そういったもので頭の中は真っ白に、それでいて真っ暗だった。
−−嫌だ。
しかし、どれほど祈ってもその瞬間は訪れる。

「さようなら」

その一言に心の声が一斉に溢れかえる。
−−嫌だ嫌だ嫌だ待ってくれ行かないでくれお願いだそばにいて

彼女が後ろ向いた。

他の人を見ていてもいい。もしいいと思うなら、どうか。
そばにいてくれ。

彼女が離れていこうとする。

「っ・・・波江!」

ようやくそれだけ口にすると、彼は、

「・・・はなして」

彼女の腕を掴んでいた。

彼女は顔をあちらへ向けたまま背けている。
しかし、彼は手を離さなかった。必死に、手に力を込める。
彼女は一つ深呼吸をするように息をつくと、ゆっくりと、彼を振り返った。

「臨也」

彼女はそっと、彼のその、自分の腕を掴んで頑なに握られている手に、自分の手を重ねた。
まるで子供をあやすかのように。優しく。
しかし、彼はそれでも手の力を緩めることをしなかった。
いやいやと、俯いて、それこそ子供のように首を振る。

「臨也」

再び名前を呼ばれて顔を上げると、彼女の目は赤く潤んでいた。その目で、震えた声で、言う。

「お願い」

手が離れた。離れてしまった。

「さようなら」

そして今度こそ彼女は遠く離れていった。
彼は一人そこに残された。
わかっていた。本当はわかっていたのだ。
彼女が自分の側で自分以外の誰かを見て、そして自分は愛されることがないということに、自分は、耐えられないということを。

わかっていた。
彼女も自分も。何もかもを。
なるべくしてなった。
必然だった。

彼は空を見上げた。
冷たい空気で潤んだ目を乾かす。

「ああ・・・そうか。そうだ・・・」

口からでる白い息が上空へ上っていく。

「あ・・・ははっ、・・・。ああ・・・好きだったなあ・・・」

白い息たちは霧散していった。

街は動いていた。全てを包んで。
二人は、白い息でさえそれに含まれた。
街は絶えず巡り、蠢き、その身にあるものを全て飲み込む。
今、一つの恋が終わろうとしていた。
それさえも飲み込んで、街は変わらず動いていた。