ある雨の日
茜には大好きなひとがいる。
その人はとても優しくて頭が良くて大人なのに可愛くて、でもかっこよくて。
たまに厳しいことも言われるし、怒られたりもするけど、それは自分のことを想って言ってくれてるのだと、茜は知っている。
だから、きちんと反省して謝れば、彼はまた笑ってくれる。
それが嬉しくて茜はもっと彼のことを好きになるのだ。
梅雨に入り、じめじめとした空気がまとわりつく季節。
傘を差しても、お気に入りの靴が濡れて汚れてしまうこの季節を茜はあまり好きではないけれど、いつもそばにいてくれる彼は「好き」だと言った。
「だって靴ぬれるし、すぐかわいてくれないよ。カビだってたべものに生えるんだよ」
「じゃあ、生える前に食べないとね。それにすぐ乾かなくても、いつかは乾くよ」
「帝人先生はのんびりしすぎだよ」
「そうかな」
ふふ、と笑う彼の手には淡いブルーの傘。
茜は花柄が可愛いピンクの傘を持っている。
「それに、カサとかなかったら帝人先生と手をつなげるのに」
「あったら繋いでくれないの?」
「・・・・だって、私はいいけど、帝人先生がぬれちゃう」
そう言えば、彼は目を柔らかく細めて、「優しい子だね」と頭を撫ぜてくれた。
茜は嬉しくてでも照れ臭くて、彼から離れ傘をくるるっと回す。
それを数歩離れた距離で見守る帝人の顔はやはり優しい。
茜は雨はそんなに好きじゃない。
けれど帝人が傍に居てくれるなら、雨でも良いと思える。
もちろん帝人はいつでも傍 にいてくれるが、気分的にというものだ。
そのままくるくる傘と一緒にくるくる回っていると、ぼすんと傘が抑えられた。
慌てて茜が見上げれば、平和島静雄が立っていた。
「静雄お兄ちゃん!」
「よう、茜。んなとこで回ってっとこけんぞ」
「こけないよ!」
「はは、どうだか」
そう言ってくしゃくしゃと頭を撫ぜる大きな掌は茜のお気に入りだ。
しかし、その手がぴたりと止まり、慌ててひっこめられる。
何かと茜が不思議そうに静雄を見れば、彼はゆったりと歩いてくる帝人を見ていた。
「こんにちは、平和島さん」
「お、おう」
茜の時とは違い、少しだけぶっきらぼうな返事。
そのせいかちょっと前までは、静雄は帝人のことが嫌いなのかと茜は思っていた。
大好きな二人だから仲良くしてほしいと訴えた茜に、静雄はうろたえ、そして帝人は珍しく声をあげて笑った。
そこで漸く静雄のぶっきらぼうさはただ照れていただけだと知った。
なぜ照れるのかは教えてくれなかったが。
「雨の外回りは大変ですね」
「や、そうでもねぇよ、やることは変わんねぇし。ただ傘を持つのは面倒だな」
「静雄お兄ちゃんも雨嫌いなの?」
「ああ?・・・嫌いっつーか、面倒なんだよ」
「でも帝人先生は好きって」
「・・・そうなのか?」
「はい、好きです」
ふわりと笑いながら言った帝人に、思わず静雄は見惚れるが、下から注がれる不思議そうな視線に気付き慌てて目を逸らした。
おそらくここにトムとかが居た ら、(ああ、静雄は帝人に惚れてんだな)と気付くが、あいにくここには幼い茜と鈍い帝人、そして当の本人の静雄しか居ないので、若干ピンクな空気を纏っていてもスルーされる。(もちろん周りにはその他大勢もいるが、彼らは池袋で平和に生きる為に必死で目を逸らしていた)
「・・・あーっと、雨が好きって結構変わってんな」
「よく言われます」
「帝人先生何で雨が好きなの?」
見上げた茜に、帝人は膝を折ることで視線を合わせる。
淡いブルーの傘が帝人の身体をすっぽりと覆った。
「あんまりちゃんとした理由は無いんだけど、そうだなぁ、雨だと何となく静かになるところとか好きかな」
あとは、と帝人は茜の傘を指をさした。
「高いところから見る傘の群れが、まるで色とりどりの花畑に見えるのが気に入ってるんだ」
「花畑?」
「うん。例えば、お嬢のは、ピンクの花」
「!じゃあ、帝人先生のは青い花!」
「そう」
ぱっと顔を輝かせる茜に、帝人は柔らかく微笑む。
「静雄お兄ちゃんは白い花だね!」
「お、おお、そうだな」
「茜も今度高いところから見たい!」
「じゃあ、次に雨が降ったら傘がたくさん見えるところに行こうか」
「やったあ!」
はしゃぐ茜を帝人は優しく見守る。
彼女がいずれ背負わなければならないものを知っている帝人は、なるべく彼女の願いを叶えてやりたいと思っていた。
相応し くあれと教育すべき立場の自分がそう思うこと自体おこがましいことだけれど。
「竜ヶ峰、どうかしたのか?」
「・・・いえ」
気遣わしげな声が降る。
帝人はふるりと頭を横に振り、笑みで応えた。
「平和島さんも、ご一緒にいかがですか?」
「は?」
「一緒に傘の花を見に行きませんか?きっとお嬢も喜びます」
「・・・・お前は?」
「え?」
「な、何でもねぇ!・・・・仕事が休みの時だったら、大丈夫だ」
「ありがとうございます」
茜が戻ってくる。
いつのまにか雨が止んでいた。
傘を畳んで、空いた手を帝人に伸ばす。
「帝人先生!手つなご!」
茜の手に、帝人の白い手が合わさり繋がる。
「ねえ、帝人先生。私、雨の日が好きになったよ」
「そうなの?嬉しいなぁ」
「えへへ」
仲良く笑い合う二人を、静雄は口元を幽かに綻ばせながら眺めた。
大好きなふたりが傍に居る。
それだけで茜は雨の日が好きになる。
理由なんてきっとそれで十分なのだ。
(静雄お兄ちゃん、こんどは真っ赤なカサもってきてね!)((ぶっ))