栗毛の犬
最年少マイスターの刹那・F・セイエイは、いつもより大分早くに目が覚めた。ミッションに左右されるとはいえ、毎日ほぼ同じ時間に起床する自分にしては珍しい、と思いながら、刹那は早朝の静けさを満喫するために外へ出た。
海は静かだった。カモメの鳴き声と穏やかな波音、木々の囀りが優しく刹那の耳を撫でた。もう晩秋だが、南の島であるこの場所は早朝でも暖かく、刹那を眠りに誘うようだ。
―いつもより2時間も早く目が覚めたからな...。
小さな欠伸をすると、刹那は柔らかな砂浜へ身を横たえた。太陽の熱で温もった砂は心地良く、刹那はすぐに眠りに落ちた。
ソランとその友達数人は、秘密の遊び場で大人に内緒で犬を飼っていた。栗毛の大型犬で、人懐っこかった。それぞれ自分の朝食の残りやお昼用のお弁当を少し犬に分けてやるのが日課だった。
ソランは遊び場までの道を走っていた。今日は母がお弁当を作ってくれたので、一日遊んでいられる。一番乗りがその日一日犬の飼い主役をやれるので、ソランは懸命に走った。ソランの家は仲間内で遊び場から最も遠く、なかなか一番にはなれないのだ。今日は朝の手伝いを免除してもらったから、一番になる絶好の機会だった。実は犬を飼わせてやれない息子を気遣った母親の配慮なのだが、犬の存在を隠し通せていると思っているソランは知るよしもない。
遊び場に着くと、すぐに犬が駆け寄って来た。どうやら他には誰もいないようだ。もうずっと前に一番になって以来だったので、ソランはとても嬉しかった。満面の笑みを浮かべ、犬の名を呼ぼうとした時、ソランの視界は反転した。何かがぶつかったと理解する前に背中が地面に打ち付けられ、砂埃がもうもうと上がった。砂の上なので然程身体は痛くなかったが、舞い上がった砂が目に入ってしまった。
「いたっ...」
ソランが目をこすろうとして両腕を上げようとすると、柔らかくて温かいものに触れた。犬がソランを押し倒していたのだ。肩を押さえ付けられているので何とかどかそうとするが、もがく刹那を意に介さず犬はソランの顔を舐めまわした。
「おい、こら、やめろ!くすぐったい!」
くすぐったいし重いし目も痛い。好かれるのは嬉しいが、先ずは目に入った砂をどうにかしなければ。ソランは現状を打破するために状況を把握しようと、痛む目をこじ開けた。
「お前さん、何でこんなところで寝てるんだ?風邪引くぞ。」
刹那が目を開けると、視界いっぱいに栗毛の男の顔が映った。
「...ロックオン、何故俺に覆い被さっている。」
刹那がそう問いかけると、ロックオンはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ん~?刹那があんまり幸せそうな顔で寝てるから、どんな夢を見てるのかと思ってな。」
顔を覗き込んでたのさ、と言いながら、ロックオンは刹那の腕をとって身体を起こしてやった。されるがままに身を起こす刹那は珍しい。まだ寝ぼけているのだろうかとロックオンが刹那を注視すると、小さな呟きが聞こえた。
「?何か言ったか?」
「いや、何でも無い。そんなことより腹が減った。」
そう言うと、刹那はさっさと立ち上がり、朝食を摂るべく施設へ戻ろうとする。
「あ、待てよ刹那!」
折角探しにきてやったのに、とブツブツ文句を言いながら、ロックオンは刹那の後を追った。
大好きだった大きな栗毛の犬。どうしても名前を思い出せない。一緒に世話をしていたのは誰だっただろうか。それももう忘れてしまった。
でも自分には共に戦う仲間がいる。あの犬に似た、優しくて温かい大きな栗毛の男が。今は、それでいいと思う。