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風晃る

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「ヤエル、今日は一人分多く作ってくれないかしら」
ヤエルは週に三度、目の不自由なマリナの為に食事を作りにきている。マリナは元々食が細く、特にここ最近めっきり食欲が無かったから、急に一人分も多く作ってくれと言われてヤエルは驚いた。戸惑いながらも了承するヤエルに、マリナはただ笑っただけだった。
数十分後、テーブルには久々に3人分の食事が並んでいた。マリナは「あなたはどうぞ先に食べていて」と言って食事には手をつけなかった。「後で絶対食べるから。ね?」そう後押しされれば、ヤエルとしては何も言えない。一人分の食器の音が気まずくなってヤエルは早々に食事を終わらせた。
「絶対、食べてくれよ」
「ええ、ヤエルがせっかく作ってくれたんですもの」
そういってマリナはヤエルを見送った。彼は学校の教師をしているらしい。きっとすばらしい教師なんだろう。マリナは彼の成長をこの目で見られないことをほんの少し寂しく思った。彼だけではない、他の子供達――今は、大人達、と言ったほうが正しいのだけれど。
「マリナ・イスマイール」
硬質な声がマリナの鼓膜を揺らした。マリナの部屋から鉄を踏むような音を響かせて現れたのは一人の青年だった。青年からはいつも金属を叩くような音がしたが、マリナはあえてそのことに触れなかった。その代わりに「刹那」とその青年の名前を呼ぶ。
「……あなたも一緒に食事をすれば良かったのに」
「…俺はいいんだ」
刹那はそう言って食事にしよう、とマリナの手をやさしく引いた。暖かくも冷たくも感じない手のひらの温度は、それでもそこにあるだけでマリナを安心させる。

ヤエルが作ってくれたスープを温めなおし、改めて食事は再開された。久々の再開につもる話は山ほどあったが、逆にどこから話をして良いかわからなくて二人とも黙ったままだった。ただ一度、刹那が「懐かしい感じがする」とスプーンを握りながらぽつりと呟いた。ヤエルが作った料理は、マリナが子供達に教えた祖国のものである。きっとその味を思い出しているのだろう。マリナは嬉しくなった。だが、刹那にしてみれば、食事という行為自体がそもそも数十年ぶりだったのである。刹那は、今だけは彼女の目が見えなくてよかったと思った。自分の姿は、おおよそ人とかけ離れている。ヤエルの前に姿を現さなかったのもそれが理由だ。

「マリナ」
食事が終わり、食器を片付けようとした手を刹那が止めた。「俺がやる」やはりその手は暖かくも冷たくもない。「大丈夫よ、これくらい」マリナは刹那の申し出を断るとしっかりした足取りで食器を片付け始めた。刹那もマリナの後ろについて回っていたが、彼女はあっというまに全てを美しく片付けてしまう。刹那は感嘆した。
「ねぇ刹那、少し散歩に行かない?」
「だが、君は目が…」
「ずっと篭っていると、体もなまってしまうわ。ほら」
今度はマリナがそう言って刹那の手を引く番だった。日の光を浴びたら、少しはこの人も暖かくなるかもしれない。そう思いながらマリナは穏やかに外へ踏み出した。眩しい太陽を乾いた肌が感じた。衰えていてもまだ嗅覚はみずみずしい草の匂いを伝えてくれる。マリナはそれだけで十分満足だった。
「奥にいい場所があるの」
「いい場所?」
「素敵なところよ」
刹那は少し沈黙した後、「持って行きたい物がある」と言って一旦小屋へと戻り、小さな水筒と何かの包みを持ってきた。刹那はマリナの手をしっかり握る。目が見えなくなる前の記憶だけを頼りにマリナは歩き始めた。マリナが目印になる木の本数や道の状態を細かく刹那に伝え、刹那が誘導する。深い茂みを抜けたところで、「この先よ」とマリナは力強く言った。

「……っ、ここは…」
高原特有の、下から吹き上げる風が刹那とマリナの髪を、そしてそこに溢れんばかりに咲く草花を揺らしていった。そこは楽園に等しい場所だと思えた。刹那は息を飲む。「いいでしょう?」気づけばマリナがこちらを向いて微笑んでいた。「…あぁ」刹那も自然に頷いていた。
「景色もいいの。ここ」目が見えなくなるまでは、ここに毎日通っていたわ。マリナは涼しげな足取りで崖に向かって歩き出した。刹那も慌てて後を追う。「マリナッ!」すんでのところで止めると、あらやだ危なかったわ、とマリナはくすくすと陽気に笑った。
「でも、見て、刹那」
マリナが伸ばした手を追って刹那もそこにある景色を見た。今はもうすっかり夕焼けに変わった太陽が見える。それを優しく包み込むようにオレンジを帯びた雲が空を彩っていた。人々が生活している村も、町も見える。刹那は、この光景に急に取り残されたような気分になった。まるで自分の存在が、この雄大な景色に抱かれて消えてしまうように。世界はどこまでも広かった。
「綺麗だ」
「ええ。とっても」
刹那はその場にしゃがみ込みゆっくりと小屋から持ってきた包みを開いた。「これはなに?」マリナは聞いた。
「集めてきたものだ」
修道院の隅にひっそりと飾られていた、仲睦まじい男性と女性が描かれた絵。亡き兄の墓前と、亡き恋人の墓前に供えられていた紫苑の花。その花を手に取ったときに「君は全く変わっていないな」と声を掛けてきた青年から紫の髪を少し。ついに美しい輝きを失わなかった一組の結婚指輪。高級な銘柄の蒸留酒、髪留め、機体の破片、数えきれない程のそれらを、刹那はいつくしむような目で見た。「これを、埋めるんだ…。君はどうする?」刹那はマリナに問いかける。
「…私は、この場所に眠りたいわ。祖国の地に」
「…マリナ」
「……まだまだ、先の話よ」
そうか、と刹那は包みを元通りにしまった。ふ、とマリナが刹那の肩に頭を預けた。
「…そろそろ帰ろう、マリナ」
そうね、と夢見心地でマリナが呟く。細い息が刹那の首筋を掠めた。
「マリナ…、眠っているのか?」
刹那は、その小柄な体を背負って歩き出した。振り返ってもう一度だけ美しい世界を目に焼き付ける。

これが、俺が望んでいた、世界なのか。

刹那はそのすっかり変色してしまった目を少しだけ眩しそうに細める。背中のマリナの体温を感じながら、この場所に来るのは、もう少し先になればいいと思った。




作品名:風晃る 作家名:えーじ