の、価値
僕を見てうらやましいなと笑った、その男。今でもよく覚えている。大好きな赤ん坊は当たり前だ、と笑うけれど、違う。違うんだよ赤ん坊、自分と同じ顔をした人間などたいした衝撃ではない。そんなものはクローン技術が成立した今なんら不思議なことではない。誰だって複製くらいできる。
昼だったか夜だったか、それとも白夜か。春だろうと夏だろうとたいした違いはない。出会った状況などどうでもいい。
重要なのは煙とともに目の前に現れた男は雲雀恭弥そのものだったということ。あれは、あの男は僕そのものだった。きっと解剖でもすればあの男と僕がほぼ同じ脳の働き、電気信号の配列であるとわかっただろう。
そう、ほぼ同じ。それがいまだにあの男と出会ったことを何度も反芻する理由。いまだに忘れられない理由。
99%の合致と1%の不一致。
その1%が僅かな、だが地球よりはるかに重要な、僕とあの男の違いだった。
あのズレはいったい何?
いや、僕にはわかる。あれは許容のあと。そう考えるとおぞましさに身震いする。弾き出した答えに唾をはきかけたくなる。いっそ嘲笑いたくなる。これは自嘲なのか、八つ裂きにすればよかった。
あの男は、あの雲雀恭弥は、精神の一部犯されることを許した。
許して、取り込んで、孤高を歪めた。
出会いとやらに価値があったとしても。あの男と僕との出会いにはなんの価値もなかった。
価値どころか有害しか生み出さなかった。僕にとっては気色の悪いアクシデントでしかなかった。自分が他者を求める?口のなかが苦い、生理的嫌悪を越える怒りが渦巻く、あつい。なぜ、なぜ。
なぜ、うらやましいなんて言った。
何一つ羨んでなどいなかったくせに。
他者を受け入れる苦痛を越えてでも
死にも等しいことをやってのけてでも、
孤高を歪めるほど価値ある存在と出会えたと、なぜ僕に言った。
それが僕には手に入れられないものだと、なぜわからせた。
むつごとのようになぜ、その名をささやいた。
腹の底が燃える。
もし、次があるならあの男を殺そう。
「ドッペルゲンガーの価値」
彼がいる世界と彼がいない世界の雲の邂逅