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傘の差し方

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駅の構内から出ようとするとさっきまで降っていなかった雨がぽつぽつと降っていて足を止める。ただ、少しの間足を止めただけ。平和島静雄にとって、雨とはその程度のものだった。
冷たいし、服はべしゃべしゃになってちょっと気持ち悪いが、それだけだ。自分はこんなもので風邪を引くほど弱くないし、衝動に任せて放り投げることを考えると傘をマメに持つなんて、到底無理だと思う。仕事中ならビニール傘を買うのも考えるし、今だって濡れると見た目はあれだが、自分では自分の姿は見れないので特に問題ない。子供の頃こそ母親に傘を持っていきなさい、と何度も言われたが、それも言われなくなって久しく、傘の差し方などとうに忘れた。
上司、恋人に加えて最近「同居人」の肩書きまで増えた田中トムにこれから帰るというメールを一本入れると、静雄は彼にとってあくまでも「普通」に駅の構内を出た。それが10分前のことで、急に降りが激しくなった雨の中でその同居人とばったり正面から会ったのがたった今である。
コンビニは逆方向。今から駅にでも行くのかと怪訝にトムを見た静雄に、黒い傘をさしたトムはため息をついた。

「静雄、おまえ、駅で待っとけってメールしたべ」
「え、まじですか」
「まじだよ」

慌てて携帯電話を開くと、確かに受信して読んでないメールが1件あった。「駅でまっとけ」それだけの単純なメールだ。

「すんません、駅に何か用だったんスか?」
「とりあえずお前は傘はいれ」
「大丈夫っス」

トムは傘をさしかけてきたが、トムが前から使っている黒い傘は男二人で入るには少し小さいように見えたので、手を伸ばしてゆるく抵抗する。大体、ひとつの傘にふたりで入る、なんてなんだか照れるし、その距離では多分トムも濡れてしまうだろう程度には既に静雄は雨に打たれていた。

「お前ね、うちは傘ふたつねぇんだよ。ワガママ言うんじゃありません。ほら帰るぞ」
「え?駅いかないんすか」
「お前駅からでちゃったのにいっても仕方ないだろ」

いまひとつ状況が飲み込めなくて静雄は前髪からしたたる雨の滴を睫毛で払うように瞬きをした。その腕をぐい、と割と強引に引くとトムは傘に入れてしまう。トムの力は勿論静雄よりは弱いのだが、何かの意志を持っているときの力にはうまく抗えなくて、静雄は困惑したまま隣に並んだ。それでようやくトムは表情をやわらかくした。

「ったく、すれ違わなくて良かったけどよ。迎えにいこうと思ったらこれだもんなぁ」
「迎え、に」
「そうだよ。お前傘持ってないだろ、大体」

迎えに、という部分を何度か反芻しても、慣れない言葉はうまく落ち着かなくて、静雄の言葉数は減った。
その分、雨の音が黒いトムの傘にぼつぼつとあたる音が大きく聞こえる。自分を濡らすはずだった冷たい雨のひとつひとつが地面に落ちる音だ。
目の端に入った、自分とは反対側になっているトムの肩が少し濡れていて、静雄はより複雑な気分になった。それがどう伝わってしまったのか、トムは苦笑した。

「雨くらい平気なんて知ってんよ。お前が雨に濡れるの、俺が嫌だっただけだ。…んなこと、言わせんなっつの」

最後のところは、いつになく早口で、何かに言い訳するようだった。
よかった、と思う。雨に濡れた自分の姿もそうだが、今みたいに顔が熱いときの自分も自分では見ることができない。そのことを本当によかったと思いつつ、静雄は形ばかりサングラスを直した。多分この年の割りに冷静な上司もそう思っているのではないか、と思う程度には、目に入る見慣れた首元が赤かった。
多分自分はどこかに帰るのは、いつからか諦めていた。傘の差し方を忘れるくらいに昔の話だ。それをひとつひとつ取り戻しながら、帰り道をふたりで歩く。
言葉をなくしたふたりの周りに、ぽつぽつと雨が落ちた。雨が上がるまではあと少しで、つけっぱなしの家の明かりは、それよりもう少し近い。


<終>
作品名:傘の差し方 作家名:裏壱