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折原・竜ヶ峰情報事務所

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ダラーズを作った頃、僕はまだ地元に住んでいて、代わり映えしない毎日の中でネットの世界だけが唯一の非日常だった。
 幼馴染も引越し、現実世界に興味をうしなった僕は、そこにしか居場所を見いだせなかったのだ。ダラーズを分身のように思い、増していくそのネットワーク力を利用して、ネット株もハッキングも割と罪悪感なく普通にこなした。中学生という年代はそういった新しいものを吸収するのには適しているように思う。
 やがてダラーズの規模が膨れ上がり、創始当時のメンバーが次々と姿を消していく中で、ひとりの人間に出会った。
 ハンドルネーム「奈倉」。それが池袋で知らない者はいない「折原臨也」だと知るのはもう少し後だったけれど、ネットの中ですら広い知識と僕には到底思いつかないほどの考えを見せる彼は、まるで彼自身が非日常の体現のようで、僕らは急速に近づいた。調べれば調べるほど色々な噂が出てくる「奈倉」と親しくなるのは危ないと、頭の中で警鐘が鳴り響いていたけど、それすら枷にならないほど、もしかしたら僕はもうネットだけじゃ物足りないと思っていたのかもしれない。
 そして、僕が受験を控える頃、「奈倉」はこんな提案をしてきた。

『もし家を出る気があるのなら、東京の高校を受験したらどう?俺は一人暮らしだからよかったらうちに住めばいいよ。生活費の類はいらない。その代わり、情報屋をしてる俺の仕事を手伝って欲しい』

 想像もしない申し出だった。毎日ネット上で話していても、実際に会ったことはない。日頃話しているから性格はある程度理解しているが、それもネット用のものかもしれない。会ったこともない相手と一書に暮らす、それも見も知らない土地で。
 一瞬脳裏を過ぎったその「一般的」な危惧は、次の一言ですぐに掻き消された。

『君はネット上だけで燻っていていいような人じゃない。俺と一緒に、現実から世界を動かそう』

 これまでネットでしか味わえなかった非日常が、現実のものにかわる。
 思えば毎日彼と接していて、僕の思考はとっくにおかしくなっていたのかもしれない。いずれにしろ、僕の精神が中学生とは思えないほど急激に大人びたのは事実だ。
 僕もそれなりに彼という人間を調べ上げて、ダラーズを肥大化させたのが彼だということも、裏世界と密に関わっているということもわかってる。つまり間違いなく彼も僕という人間を既に調べているはずで、その上で出た誘い文句がこれなのだとしたら、
 僕は彼と対等にものを見ることができる。それを許された、ということだ。

 僕の進路はこの時、決まった。
 本来歩むはずの日常という道の上から、人通りの少ない薄暗い路地に自ら足を踏み入れた、ってことも。







「帝人くんまだデイトレーダーなんてやってたの?金に困ってるわけじゃないでしょー?」

 仕事が一段落したらしい臨也さんがキッチンでコーヒーを淹れてた。自分のカップに口をつけながら、もう片方のカップを僕のデスクに置いた。どうも、と軽く御礼をいって目線はそのまま画面を凝視する。はあ、とこれ見よがしに臨也さんが溜息をついた。僕が来る前は同じくらいの頻度でパソコンに向かっていた臨也さんに言われたくない。

「これは地元にいた頃からの趣味みたいなもんですよ。この家から出て行くことになったらお金いるなーと貯めてたのが、なんとなくクセになってるだけで」
「出て行くとかひどい!!俺こんなに尽くしてるのに!」
「………」
「あ、なにその何か言いたげな目」
「コーヒー美味しいです」
「絶対思ってないでしょ!?」

 臨也さんと暮らし始めて一年。情報屋の仕事もだんだんわかってきて、今では事務所の名前に僕の名前まで冠してもらってるくらいになった。毎日新宿のこの部屋から池袋にある高校に通う。その足で簡単に池袋の日常を確認してから、基本的にはネットを通じて仕事をする。高校生の僕では大人に不信感を与えるだろうから、外へ出て交渉したりってのはだいたい臨也さんの仕事だ。もともと僕はネットで動くのが得意だし、臨也さんがその分足で情報を収集する時間が増えたので、それなりに相性は良いんだと思う。たしかに、まだ出ていきたいと一度も思ったことがないくらいには。

「…あ、そういえばこないだ静雄さんに会いました」
「ぶっ…、はああ!?シズちゃん!?何してんの帝人くん!!」
「きたないなあ、コーヒー噴かないでくださいよ。絡まれたところを助けてもらって、あとからあれが平和島静雄さんだってわかったんですけど、普通に良い人でしたよ」
「良い人!!!!どこが!!!」
「まあ臨也さんと比べたらたいていの人は良い人なんですけど」

 絡まれた相手は仕事上でイザコザがあった相手だ。僕らの顧客である組織の敵側の人間。絡まれるのは当然だけれど、喧嘩に弱い僕が外に出た隙を狙われたのはまずかった。それを理由も知らずに高校生が絡まれてると見ただけで助けてくれた静雄さんはほんとうに普通に良い人だと思う。非日常すぎるその力に反比例するように、とても理性的な性格。確かに臨也さんとは火に油なのかもしれない。

「あー帝人君を外に出すんじゃなかった…、絶対シズちゃんて帝人くん気に入るに決まってんだからさあ、もうほんと俺の人生で五指に入るくらいの失敗だった…」
「確かに、僕が臨也さんの知り合いだってばれたとしても、僕が臨也さんに騙されてるんじゃないかって解釈してくれそうなほどには良い人そうに見えましたよ」
「…帝人くんほんとは俺のことキライなんじゃないの…」

 がっくりうなだれる姿は、新宿きっての情報屋、池袋で誰もが恐れる折原臨也にはとてもじゃないけど見えなくて、なんだか笑ってしまった。
 初めて臨也さんに会ったとき、彼は僕よりずっと年上の「大人の男」だった。人当たりのよさそうな笑顔の裏側に潜む恐ろしさとか、一言一言の言葉の裏側にある得体のしれなさに震撼したのも憶えてる。でも実際一緒に暮らしてみると、普段の臨也さんは驚くほど「人間」で、なんだかそのギャップがすごく心地良かった。僕が彼の傍を選んだのは多分、非日常に憧れていたからっていうだけじゃない。相手がこの人だったからだろう。

「…泣かないでくださいようざいから」
「だって帝人くんがさあ…」
「きらいだったら、」

 パソコンを落とすと立ち上がって、しゃがんでうだうだしてる臨也さんの頭に、傍にあったファイルをぽんと乗せた。背表紙には「折原・竜ヶ峰情報事務所顧客リスト」とある。この一年で、ファイルはずいぶんと数が増えた。

「──僕は今、ここにいません」

 さきのことは、まだわからない。東京は僕の地元よりもずっと速く日常が動いていると錯覚してしまうし、めまぐるしい日々の中で高校を卒業したあともこの人と一緒に情報屋をしてるのかどうか、そんな未来さえもまだ予想できないけど。
 それでも今は、ここが僕の居場所だ。

 臨也さんは乗せられたファイルを手にとって僕を見上げ、

「頼りにしてるよ、相棒」

 まるで普通の大学生みたいな顔で、笑った。




作品名:折原・竜ヶ峰情報事務所 作家名:和泉