縁側
一度その下でおねね様の弁当を広げたときなどは、運良く正則の飯の下に落ちてきてそれからてんやわんやの大騒ぎだった。たかだが虫一匹に大の大人が揃いも揃って、だ。
まぁ、俺とて己の飯に虫が落ちてくるのはそう嬉しいことじゃないし、ましてやおねね様が手塩にかけて作ってくださったありがたいお弁当だ。自分が正則の立場なら恐らくその虫をひっつかんで地面に叩きつけていただろう。
あれは正則だったからこそ、驚いた拍子に弁当を放り投げ、それが見事三成の頭に当たり、あたり一体に(それこそ人の顔から広げた弁当にまで)米粒をばらまく惨劇となったのだ。
つい先日のことなのにこうも懐かしく感じてしまうのは、己も歳を取ったからだろうか。
隅から隅までよく掃かれた庭園を一望し、清正は葉を広げる桜のごとく陽を一心に浴びていた。しかし自分は木ではない。この季節、ずっと陽の下にいるとじわり汗が滲むほど暑い。かと言って家の隅で縮こまっていては少し肌寒い。それゆえ外と内の境目、この縁側が一番居心地が良いのだ。
陽があっても春の風が撫ぜてくれる。温かく、涼しい。そんな春の終わりが、一番好きだ。
「おい、何をしている」
猫がいればここを寝床とするような雰囲気の中に、無粋な声が混じった。
顔すら向けずに声に答える。
「一休み中だ」
「随分長い休みだな」
皮肉をたっぷり含ませて人が近寄る気配がする。とんとんと足袋が縁側を叩く小さな音を響かせて、直後、俺の頭に何か固いものが置かれた。
重さで自然と傾く視界のなか、口だけを開く。
「重い」
「お前の仕事だ馬鹿。途中で放るな」
「わざわざ持ってきたのかよ」
呆れたように顔をずらして頭上に置かれていた本を受け取った。先の戦の後始末だ。本来こういったそろばん術は、三成のような頭の固い人物がおあつらえ向きだ。しかし秀吉様は今や天下人となられたお方。当然扱う事柄も昔の比ではない。
単純に武芸を俺と正則に、後詰めを三成に、と分けることは出来なくなっていた。戦馬鹿の正則は仕方ないとはいえ、そこそこ数字も扱える俺にはそれなりの仕事が、特に壊れた橋の建設、灌漑、城壁の落石修理など、土木工事のようなものが与えられるようになっていた。
別にそれ自体は苦ではなかった。何より秀吉様の為だ。働くことに異論なんてもちろんない。それに何かを考え、創造することは嫌いじゃない。ひとつ仕事を終える度に秀吉様からも、そして長らく困っていたその土地の村人からも感謝されるのはこの上ない喜びだ。それはいいのだが、こうも毎日机に詰めっぱなしだと気が滅入るというもの。
これからの季節。もう直ぐ梅雨が来るだろう。そうしたら嫌になるほど城に閉じ込められる。その前に、少しくらい春の心地よい空気にまどろんでも罰は下らないだろう。
下らないのだが、代わりに拳骨が下ってきた。
いてっと声を上げれば、拳を固めた三成がじろりと見下ろしてきた。いい加減働けと言いたいのだろう。
はいはいとふたつ返事で腰を上げる。ちゃんと立ち上がるか目で追っていた三成は、膝がふたつとも伸ばされたことを確認するとくるりと背を向けた。
随分と細い背だ。握ったら折れてしまいそうだ。こんなことを言えば、また何がしかの騒ぎになるから止めておくが。
「そういえばお前、なんで俺がここに居るってわかったんだ?」
いや、そもそも何故三成が己の仕事ぶりを知っていたのだろう。お互い自分のことで手一杯で、相手の状況など推して知る他なかったはず。
隣に並んだ三成はその愛用の扇子で口元を隠しながら、目だけで俺を捉えた。
「墨に塗れた馬鹿虎が、そろそろ飽いて日向ぼっこでもしてる頃合だと思ってな」
それきり、足を速めた三成は廊下を曲がり、挨拶もせず去っていく。
経験則、というものだろうか。戦場にて、俺達はその場の“カン”でたまに動くことがあるが、三成のように城そのものが戦場の人間にも、恐らくそれ相当の“カン”が働くのだろう。
いずれにせよ、俺はあのお目付け役がいる限りのほほんと太陽とじゃれている暇はないということだ。
今頃になって漏れ出てきた生欠伸をひとつして、俺は三成とは異なる道を歩み出した。