囚われ小鳥
飛ぶことを覚えるまえに羽を切られた哀れな小鳥。
全てを享受するような横顔を見せるくせに、眸だけは自由への渇望で淡く鈍く輝かせる愚かな小鳥。
そんな小鳥を欲しがったのは、金色の獣。
提灯の明かりが金色を眩く照らし、均整のとれた肉体を惜しげも無く晒して、小鳥を喰わんとする獣。
獣は言った。
頭の先から爪の先まで余すとこなくお前を喰らい尽くしたいのだ、と。
がしりと細い腰を掴む大きな掌。
その指から伝わる痛いほどの力に、(ああ痣になるな)と思う。
ただそう思っただけなのに、男は帝人の意識が逸れたことを気配で嗅ぎ分け、「何を考えてる」と顔を近づけた。
彫りの深い、端正な顔立ちなのに、ぎらぎらと見据える眸が人よりも獣を連想させる。
そうだ。この男は獣なのだ。
弱肉強食の世界で常に強者として生きる、獣。
弱者である帝人は男に喰われるだけの身だ。
「・・・貴方のことを、」
嘘ではなかった。
しかし、男の望む応えではなかったのか、男はぎらつく眸そのままにうっそりと開けた口で帝人の喉元に噛みついた。
尖った犬歯が喰い込む痛みに耐えることしかできない自分に嫌悪と諦めを感じながら、帝人は瞼を閉じた。
男は、平和島静雄と名乗った。
俗世には疎い自分ですら知る名前に、帝人は知らず息を呑んだ。
客や仲間が謳う噂に時折上がっていた名前は、人々の畏怖と嫌悪と憧憬を一身に受けていたからだ。
その名を背負う男が今帝人の目の前に居る。
見た目も極上の男が、何故下位でもないが上位でもない位置に在る帝人を買うのか理解しきれなかったが、それでも帝人に抗う術は無かった。
(正直、こういう場所は胸クソ悪くなるけどよ)
男は嫌悪を隠さずにそう吐き捨て、帝人の発育の悪い肩をぎちりと掴む。
その強さに帝人は表情を取り繕うのを一瞬止めてしまい、それを見咎めた男は嘲笑った。
(お前は気に入った)
何を、何処が、問う権利も抗う術と共に帝人には無い。
帝人はどんな選択も、受け入れるだけだ。
そういう存在なのだ。
(今夜から俺はお前の客だ)
男はわらう。
牙を剝いて。
(だからお前は俺のものだ)
その宣言通り、男は帝人の元へと通い続けた。
日を置かないでくる時もあったり、数週間姿を見せない時もあった。
その時は決まって、彼はどこかしら怪我をしていて、紅く滲む白い布を気にせず帝人を手酷く抱くのだ。
まるで餓えに餓えた獣の如く、彼の痕が消え去った帝人の白い肌にむしゃぶりつく。
無理矢理呼び起される熱は帝人の意識すら焼き尽くし翻弄する。
これには男に何度となく抱かれても慣れることはできなかった。
耐えきれなくて泣きじゃくる帝人の涙を渇く喉を潤すように舐める男は正しく獣で、けしてその手を緩めてはくれなかった。
優しくされたことなど無い。
いつも奪うように貪られるだけだ。
だからこそ、帝人は常に己を弱者で獲物だと認識できた。
喰われるだけの存在なのだと。
例え、睦言のように耳元で愛を囁かれても、空耳だと、思い込めた。
「何を考えている」
二度目の問いかけに、帝人は同じ応えを返そうと唇を開き、しかし逡巡した。
出たのは似ているようで違う応え。
「貴方と、初めてあいまみえた時のことを、」
一瞬だけ、色の薄い目が瞠られる。
「余裕だな」
男は喉を鳴らし笑いながら、白い太腿の内側、柔らかい肌に指を滑らせた。
濡れた唇から零れる嬌声に男の笑みは確りと唇に刻まれる。
「お前は俺の事知ってたくせに、怖がらなかったな」
「・・・・そう、でしたか?」
「ああ。むしろ、お前は悦んでたよなぁ、俺という存在に」
指を滑らせた場所に今度はその牙を突き立てた男を制止することなどできず、帝人は細い喉を反らした。
「お前は自覚無かったようだが、すげぇ顔してたぜ?欲に濡れた、それこそ極上の娼婦すら尻尾を巻いて逃げるような、そんな面をよ」
「そんな、つもりは」
「無かったとは言わせねぇ。お前は確かに俺に欲情してたんだよ」
帝人は口を閉ざす。
否定せず、肯定もせず、ただただ沈黙を。
帝人の態度に、男はやはり哂った。
「頑なだな、帝人」
名を呼ばれ、身体が強張る。
「・・・ここでは竜胆と、お呼びください」
「ああ?んなめんどくせぇことするかよ。それとも、お前が男に抱かれる為だけの名、俺に呼ばせんのか?」
「・・・静雄様」
後生です。帝人は震える声で綴る。
しかし男は残酷だった。
「様はいらねぇ。俺はお前の客だが、お前は俺のもんだっつっただろ」
帝人。
過去に捨てた名を、男は繰り返す。
ああどうして自分は真名を教えてしまったのか。
そのせいで、帝人は男の人形に為り切れない。
夢うつつのまま、浸らせてくれない。
「―――帝人」
身体だけでなく、心すらも欲しがる欲張りな獣。
抗う術など無いけれど、それでも最後の砦とばかりに帝人は瞼を硬く閉じた。