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我侭姫と下僕の騎士

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【2章】変わり行く日々


 カルバンが娘の元へと縁談を持ってきてから、クレアの生活には少しの変化が起きた。
 花嫁教育という勉学の時間が設けられ、未来の夫により愛されるようにと、肌のお手入れに割かれる時間が増えた。
 花嫁教育はともかく、実際に肌のお手入れをするのは侍女の仕事なのでクレアの手間は増えないのだが、コルセットをよりきつく閉められるようになった事は辛い。
 なによりも、自分達の居ない生活に慣れてください、とイグニスが自分と距離を置きはじめたことが一番堪えた。
(ホントに一人で行くの? イグニスやフィリーと離れて……)
 自室の長椅子に腰掛けながら、クレアはそっとため息を吐く。
 フィリーは女性なので、後から呼び寄せられる。
 けれど、男性であるイグニスはそれが出来ない。
 クレアの物心がついた頃から、イグニスは常に自分の側にいた。乳母のカーラによれば、物心が付く前から自分の側に仕えていたとも聞いている。
 クレアは何気なく窓辺に飾った鳥籠に視線を向けた。
 銀で出来た鳥籠は、四歳の誕生日に次兄が青い羽の小鳥と一緒に贈ってくれたものだった。十二年近く昔の贈り物であり、今は何代目かの小鳥が住んでいる。
(昔、小鳥を過って逃がしてしまった時、捕まえてきてくれたのはイグニスだっけ……)
 クレアが四歳の時ということは、イグニスは十一歳だったはずだ。当時のクレアからしてみれば随分お兄さんに見えたが、今思えば十一歳の少年などまだまだ子どもだ。
 十歳をやっと越えた程度の子どもが、空を飛んで逃げる小鳥を捕まえるのは、かなり大変な仕事だっただろう。
 鳥籠から視線を落とし、机の上の本を見つめる。六歳の誕生日に次兄から贈られた童話集の頁には、古い栞が挟まっていた。
(絵本に影響されて四葉のクローバーが欲しいってねだったら、ホントに見つけてきてくれて)
 白く可愛い花を咲かせるが、クローバーといえば雑草の一種だ。クレアとその母のため、庭師によって毎日手入れのされる庭に雑草が生えているはずもない。離宮の敷地内から出ることを許されていないクレアに、自分の足でクローバーを探すことは出来なかった。
 そんなクレアの代わりに、イグニスが一週間かけて四葉のクローバーを探してきてくれたのだ。
(……次の日、クローバーが枯れたって泣いたら、今度は押し花にしてくれたのよね)
 他にも、怖い夢を見たと起き出せば眠るまで側にいてくれ、クロードと悪戯をして乳母に叱られればクレアを背中に庇って一緒に怒られ、後から慰めてもくれた。
「確かに、すごく我侭よね、わたし……」
 在りし日のイグニスの奮闘を振り返り、クレアは苦笑する。
 これでは、『我侭姫から開放される』と喜ばれてしまっても仕方がない。
 そっとため息をもらし、クレアは栞に飾られたクローバーの押し花を指の腹で撫でる。
 いつも自分の我侭に応えてくれていたイグニスと、とうとう離れなければならない。
 嫁に行くとは、そういう事だ。

『良い機会です。姫様もいい加減大人なのですから、いつまでも私が側で我侭に応えられるとは思わないでください』

 縁談話の後、イグニスはそう言って距離を置くようになった。もちろん、もとから四六時中側にいたわけではないが。それでもクレアが呼び出して、代わりにクロードが来ることなど一度もなかった。
 何があっても、これまではクレアがイグニスの最優先事項だった。就寝中はもちろん、湯浴みの途中であってもクレアが呼べばすぐにかけつけていたのに。突然距離を置くといって呼び出しに応じなくなられては、クレアでなくとも戸惑ってしまう。
 クロードに言わせれば、長年クレアを優先するあまり出世を蹴っていた兄が、やっと騎士としての仕事を重視しはじめたと単純に喜んでいたが。
「イグニスの意地悪」
 ため息混じりに呟いて、クレアは古ぼけた栞を指で弾く。
 嫁いでしまえば、クロードですらも呼び出せない。
 政略結婚は貴族の娘に生まれた者の宿命。
 わかってはいたが、父に縁談を持ってこられた際、とくに不安を感じなかったのは、当然彼らも一緒に来るものだと思っていたからだ。
 彼らが同時に二人とも側にいない生活など、この十五年間過ごしたこともない。
 日を追う毎に広がる不安に、クレアはそっと二度目のため息をはいた。
 
 
 
 ここ数日でとみに増えたため息を自覚し、イグニスは一人、眉間に皺を寄せる。
 自分の意思で、意図的にクレアから距離をとっているとはいえ、休憩時間にも会えないのは痛い。
 元々叶わぬ身分違いの片思い。
 いつかは諦めなければならない相手だ。その期日が明確にされただけであって、自分とクレアの関係は何一つ変わってはいない。
 自分は姫君の騎士であり、姫君はいつか相応しい身分の男へと嫁ぐものだ。
 いい加減、諦めねばならない。
 そっと今日何度目かのため息を吐き、イグニスは城内に用意された自室の扉を開く。
「……。…………」
 下働きの部屋より多少ましなだけの自室に、イグニスは異質なモノを見つけ、扉を開けた時と同じ姿勢のまま、そっと扉を閉めた。
 今、何か。およそ自室に居るはずのないモノを見た気がする。
 廊下に立ったまま扉に額を付け、数泊の深呼吸。
 それから、改めて扉を開き――すぐに部屋の中へと飛び込んだ。
「な、何故、ここにっ!?」
「だって、イグニスったら、呼んでもクロードをよこすのだもの」
 後ろ手に扉を閉めながら、イグニスは自分の目を疑う。
 今回ばかりは姫君恋しさが見せる幻であって欲しかった。
 柳眉を寄せて拗ねるクレアの顔は変わらず愛らしいのだが、如何せん違和感がありすぎる。粗末な部屋のこれまた粗末な寝台の上に座る、豪奢なドレスの姫君。男の部屋に忍び込み、腰を下ろす場所としてはこれほど不適切な場所はないのだが、おそらくはクレアが寝台を選んで座っているのは、そんな理由ではない。
 部屋の中には椅子もちゃんとあるのだが、クレアのお尻には寝台が一番柔らかかったのだろう。
 末っ子という以上の理由で大切に育てられたクレアに、硬い椅子に座った経験などないはずだ。
 人形のように行儀良く、膝の上で手を握り締めているクレアに睨まれ、イグニスは目を逸らした。
「それで、なにか御用ですか?」
「特にないわ」
「は?」
 どうやら怒っているらしいのに、明確な理由なく部屋まで押しかけてきたと言うクレアにイグニスは瞬く。
 元々我の強い性格をしていたが、意味の無い行動をとる事はなかった。
「用なんてないわよ。呼んでもこないから、来ただけだもの」
 クレアを避けはじめたイグニスへの、クレアなりの意趣返し。
 遠ざけたい姫君に、逆に近づいてこられてしまい、イグニスとしては失敗もいい所だった。
「イグニスが一緒にお嫁に行けないのは理解したし、納得もしたわ。いない生活に慣れないといけないのもわかってる。でも、だからって……呼んでも来ないなんて、あんまりよ」
 クレアは目じりにほんの少しだけ涙を浮かべ、ぎゅっとドレスを掴む。あまり強く握ってしまっては皺ができると気になったが、皺ができたらそれもイグニスのせいにし、皺伸ばしそのものを『用事』にしてやればいい。
作品名:我侭姫と下僕の騎士 作家名:なしえ