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バッド・コミュニケイション

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日没とともに目を覚ましたその男は、棺から身体を起こすと寄ってきた蝙蝠たちと挨拶を交わし、寝起きのまだ働かない頭で夜に思いを寄せながら城内を悠然と闊歩した。カツ、カツ、と革靴の音が、規則的に廊下に響く。空はまだ夕焼けのオレンジ色を濃く残しており、城にある窓という窓にその極彩色を映し出していた。やがて日が完全に暮れ月が顔を出すと、いよいよ彼の脳髄は目を覚まし、その緑の目はぎらぎらと怪しく輝き、口元には鋭く尖った八重歯が覗いている。
 今夜は満月だ。

     *

 誰も寄り付かないような深い森の奥にあるこの古城に、彼――一応の名前はアーサーという――は一人で住んでいた。正しくは彼一人と、二匹の蝙蝠とともに。起きてからずっと自分の周りを忙しなく飛んでいるのでそれを手でよけながら、長い廊下を抜けた先のダイニングへと向かう。ギィ、と軋むドアを開けて、踏み入れた足が目指すのはテーブルの上の葡萄酒。ぱちんと指を鳴らすとコルクの栓が音をたてて抜けた。それをグラスに注いで一気に飲み干すと、喉を通り全身を巡るのがよくわかった。その足で部屋を突き抜けると、今度は裏庭へと赴いた。辺りが暗闇に浸された今はほとんど見えないが、昼間に見ればさぞ綺麗なローズ・ガーデンだと賞賛されることだろう。尤も、昼間にこの庭を拝むことはないし、賞賛するような人間もいない場所なので、この庭はアーサーだけの秘密の花園なのだけれど。咲きほころぶ薔薇を手当たり次第につかんで、花弁を口へと含む。もういちどワインを飲んで口内を潤したが、しかしまだ喉の乾きは癒えなかった。葡萄酒を飲んでも薔薇の花弁を口にしても、決定的な何かが足りなくてアーサーは苛立ちを覚えた。血が欲しいと、本能が訴えているのだ。小さく舌打ちをし、今日は久々に町に出ようかと、庭を後にしようとしたそのときだった。
「……誰だ?」
 かさりと聞こえた物音を、逃すはずがなかった。それが己の敷地内であればなおさらだ。アーサーが動くよりも早く蝙蝠たちが音のした方向へ飛んでいく。その後を追ったアーサーが、いばらを掻き分け進んでいく。宙を飛ぶ蝙蝠が示す場所に辿り着くと、アーサーの足元に白いものが見えた。
「狐……?」
 うずくまるようにして、それは薔薇の根元に横たわっていた。棘で怪我をしてしまったのか、身体のあちこちに引っかき傷がつき血が滲んでいる。おそらくいばらにつかまり、無理に抜けようとして傷を負ったのだろう。――かわいそうに。いつもなら踵を返し、放っておいてのたれ死ぬのも厭わなかった。そう、いつもなら。
 けれど今日は違った。アーサーはいつの間にやら取り出した薬草をその患部にあてて、そっと手を翳した。痛みと困惑にふるえていた身体は落ち着きを取り戻し、やがて規則的に背が上下しはじめる。目を覚ます頃には痛みは消え、傷口も癒えていることだろう。マントを翻して城内に戻るアーサーの周りを二匹の蝙蝠がからかうように飛び回り、今度こそ手で彼らを振り払った。蝙蝠たちは旋回し、夜の森へ散歩にいってしまった。だけど彼らが驚くのも無理はない。こんな気まぐれは、百年に一度あるかもわからないのだ。久しく血を口にしないで気でも狂ったかと自嘲的に笑い、アーサーは生き血を求めて夜の町に繰り出した。