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沈殿ロスト

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呼び鈴が空気を震わせて、僅かな機械音を含んだごく小さな沈黙の空間を崩した。
「はい、どちら様?」
低い声音で礼儀を抜き、電子越しの詰問をする。外聞は最早気にしてなどいないものである。
「初めまして、貴方の弟です。義理の」
つまりは血の繋がっていないと。いや待て、それ、どういうこと?



自分を産み落とした二親はついこの間、仲良く揃って事故にあってこの世を去った。死に顔は安らか。多分、それなりに満ちていた人生を送ってはいたので悪くはなかっただろう。
遺されたのは、一人では使い切れない程の莫大な遺産と広々とし過ぎている屋敷、おまけに小煩く親族を名乗る者ら。なので手っ取り早く人嫌いの称号を噂ですら利用して得て、生身の人間は自分以外居ないという好みの人形屋敷へと模様替えした。最新型は機能豊かで体温すらある。いささか余るものだが整備もあまり必要がないので助かる。そう、これでいい。
以来、人と会うことは良くて稀、悪くて稀、通常も稀となるように設定した。もうこの屋敷だけで生涯を閉じよう、此処を永眠場所の棺桶にしようと人生を定めていた。筈、なのにねえ。


改めて対角線上になるよう、びっくり箱の蓋を開口して何か不測の事態になろうとも平素を保つためにと柔らかな椅子に身を落とす。
舌を躍らせる寸前で遺言状、と書かれた白い封筒を手渡される。開けたいような、しかして開けたくないような。天国に向けて抗論を展開したいと心の裏側にて切望した。
刻まれた微笑をたたえながら人形が、香りのよい紅茶をプログラム通りの完璧な所作で運んで来る。物珍しいのか無邪気に握手を交わす様子を横目で摘みながらも暫定の弟らしき訪問者と対峙する。
「遺言状には、貴方はとても人嫌いであるとまた同時に人恋しいのだと。だから、よくしてやってくれないかという頼みごとが遺されていました。ので、来ちゃいました」
「へえ、これはわざわざどうも。でも別に困ってる訳でもないし、慎んでお節介はお断りするから」
了解、する訳がない。大人しく手切れ金だけ受け取ったら、出口に案内してあげるから。
「なら、どうして体温のある人形を選択したんですか?」
「単に性能面が秀でているから、それだけだよ」
本当に?
問う眼差しも声の強度も向こうの方が圧倒的に強固である。
この手の精神勝負を掛ける者は昔から特に苦手であった。遺されたもの全てが処理に困難極めるものばかりで、どうしようもなかった。盛大な嘆息を頭上へ送る。
数秒の抵抗をするも、呆気なくも陥落して白旗を立て掛けた。人形との間では作られなかったものが全身に染み渡っていくのを許容する。
これこそ焦がれていた確かなもの、そのもの。認めたら駄目になってしまうのだと、不足なく理解だけはしていたが。
雰囲気を察したらしく微笑む、自分の弟決定のこ。
「ああ、そっか。独りぼっちにされて拗ねてるんですね」
つまりは天邪鬼。拗ね続けるのも大変でしょうに。
まっすぐで偽りのない点が心にかなり痛い。納得したような口調はやめてよね。きみの所為で、皮肉気味の反論を返す気力も残っていないのに。
「頼りない兄の面倒は弟がみるのが定石なんですよ、世間離れしてる兄さん」
やんわりとしたとどめを刺されたので敗者らしく、肩から馬鹿みたいに込めていた力を脱力する。

ああ、騙されてもいいかもしれないなあ、このこになら。
作品名:沈殿ロスト 作家名:じゃく