Je t'aime plus que tout
本日は快晴。
最高気温11度、最低気温は…8度。
パリは寒そう。先輩寒いの苦手なのに、大丈夫かなぁ。
ネットで調べたフランスの天気予報を眺めながら遠いパリに滞在する聖司先輩を思う。
カイロ、たくさん持って行ったらよかったのに…爺さんじゃないんだから大丈夫だ、なんて言ってたけど絶対寒いに決まってる。
日本を発つ前にそんなやりとりをしたことを思い出してため息をついた。
日本時間はちょうど夜の10時を回ったところ。
パリとの時差はマイナス8時間なので、向こうは昼の2時を過ぎた頃だろう。
「電話…してみようかな」
側にある携帯に手を伸ばし、聖司先輩の番号を探す。
電話代もバカにならないし、2週間したら戻るんだから、とやんわりと電話をしないように言われていた。
彼なりに気を使ってくれたことだとは思ったけれど、2週間も声も聞けないのは正直つらい。
メールは2~3日おきにごくごく短い文章と、長文が苦手な彼なりの気遣いだろう、パリの様子を写真付きで送ってくれたりしていた。
そんな小さな優しさが嬉しくて、そのちょっとぶれたパリの風景写真を眺める毎日だったけれど、やっぱり声が聞きたい。
それとも彼はそんなに私の声が聞きたくないのだろうか?
もしかするとパリで金髪のフランス女と仲良く…
ぶんぶんと頭を横にふってため息をつく。考えれば考えるほどドツボにはまりそうだ。
少しくらいなら…いいよね。怒られたっていい。少しだけ、ちょっとだけ声を聞くだけ…
そう自分に言い聞かせながら受話器のボタンを押す。
1回…2回…3回…コールを待つ間心臓がドキドキしているのが分かって余計に緊張する。
「…Allo?」
「…あっ!…あろー…?」
さっき考えた言い訳の文章もすっかり飛んでしまい、しどろもどろにオウム返ししてしまった。
しまった…と思った時には時既に遅し……
「…ヘタクソ」
10日ぶりに聞く聖司先輩の声にドキッとしてじんわりと顔が熱くなる。
目の前に先輩が居たら確実に「顔が赤い」と突っ込まれただろう。
電話の向こうで小さく笑う彼の声が愛しくてたまらない。
「…どうせフランス語は喋れませんよ」
「だな、お前もう少し勉強しろ。まぁ俺もさわり程度なら教えてやってもいいけど」
相変らずの憎まれ口だけれど、それすら懐かしくて、たった10日離れただけでこんなにも新鮮に感じるものなのだろうか。
すごく、不思議だ。
「どうした。何か喋れよ。お前から電話してきたんだろ」
「…なんか懐かしくなっちゃって…今先輩にバカって言われてもメロメロです、私」
受話器の向こうで「はぁ!?」とか「お前バカか」とか「意味が分からない」とか散々に悪態をついたあと、しばらく沈黙があって先輩がため息をついたのが聞こえた。
「…電話、するなって言ったろ?」
「…ごめんなさい」
案の定、とは思っていたけれど率直に言われると堪えた。
自然とじわっと涙が溢れて、それを手で押さえる。
声が聞けて嬉しいのか、怒られてしゅんとなってなのか、もうよく分からない。
メソメソと受け答えしていたら泣いているが伝わったらしく、受話器の向こうで先輩が少しだけ慌てたような感じがした。
「ああもう、泣くな」
「…う、はい……」
ハァ、と受話器からまた小さなため息がひとつ。
「…悪い、言い過ぎた。電話されると、その……」
「…?」
「つらいだろ。お前に会いたくなる」
言いたくなかったとでも言う感じでぼそっと呟かれる。
電話を拒否されたのはただ単に仕事が忙しいから、電話をする暇が惜しいからという理由だろうと思っていたので寝耳に水だ。
「…ったく…お前のせいだからな、あと4日もあるんだぞ。どうしてくれるんだ」
不機嫌にまくしたてられて、美奈子は返す言葉もなくもごもごと口ごもる。
嬉しいやらくやしいやらだ。
「……おい。聞いてるのか。黙ってないでなんか言え」
「…う、あ…ハイ…。えっと…パリのお天気は…」
「こっちは快晴だ。今日もつつがなく、仕事、仕事、だ」
「は…そうですか。」
「………」
「………」
微妙にまた沈黙が流れ、同じタイミングで設楽と美奈子は噴き出した。
ひとしきり笑いあっている瞬間は飛行機で10時間離れている距離を感じないのが不思議だ。
「お前、俺に何か言うことがあるだろ」
「…え?」
さっきまで不機嫌に返していた彼の口調が少しだけ柔らかくなったのを感じてドキっとする。
こういう時、自分はこの人に好意を寄せられているとはっきりと感じられて、焦ってしまう。
「なんで電話した?」
「なんでって……それは…」
「ちゃんと言わないと電話代跳ね上がるぞ。いいのか?」
「…先輩ずるいですそれは」
少しだけ高い彼の声が甘みを帯びて、耳に入るとくすぐったい。
耳元でささやかれているような、そんな感覚がした。
「せんぱい……」
「…うん」
「会いたい……寂しいです」
「……ああ」
「……早く、帰ってきてください」
「ああ、すぐ帰る。だから大人しく待ってろ」
諭すように、言い聞かせるように、優しく心に届く声。
愛しさで胸がいっぱいになる。
「……Je t’aime plus que tout.」
ふいに囁やくようにかけられた言葉はフランス語で、美奈子には聞き取れない。
「先輩、なんていう意味ですか?」
美奈子が尋ねても電話の向こうは押し黙ったまま、ふっと小さな笑い声が聞こえるだけだ。
「……おしえなーい。くやしかったらフラ語、しっかり習得することだな」
「先輩のけちんぼ」
「けちんぼって…お前なぁ…」
ハァ、とまた受話器の向こうで大げさにため息をつかれたけれど、そんな反応すら今はただ愛しい。
早く帰ってきて欲しい、顔が見たい、声が聞きたい…抱きしめてほしい。
とりとめのない会話をしながら、そんなことばかり頭を駆け巡る。
「お前、明日も学校だろ。もう早く寝ろ」
「…はぁい。おやすみなさい。」
「……Je t’aime.Bonne nuit.…じゃあな。」
名残惜しいけれど受話器を切る。
電話を切る間際に先輩が言った言葉の意味が知りたくて、ネットで検索をする。
”ジュテーム”は愛してる、”ボンニュイ”はおやすみ…か。
日本語じゃ”愛してる”なんて滅多に言ってくれないくせに。
机に突っ伏して発信履歴に並んだ設楽の名前を見つめた。
くやしく思う反面、あの優しい囁くような彼の言葉が耳から離れない。
フランス語は愛を語るための言葉、なんて言うけれど。まんざらそれも嘘じゃない。
今度彼が帰ってきたら、おかえりなさいと、それから「Je t’aime」を。
やっぱり「ヘタクソ」って言われて笑われるんだろうけれど。
それもまぁ、いいか。
作品名:Je t'aime plus que tout 作家名:くまちゃん