結局は逃げられない
「ねぇ、愛してるよ、帝人君」
「そんなに軽々しく言わないでください、嘘くさいです」
「ひどいなぁ」
くすくす、と愉しそうに彼―――臨也さんは嗤った。
ああ本当、なんて浅ましい。
嘘くさいって自分で言ったにもかかわらず、そんな言葉に心が揺れるなんて。
それ以上にムカつくのは、すべてお見通しだと言わんばかりの表情を浮かべた臨也さんだ。
僕がいくら勘違いだと言い聞かせても鎮まることのないこの感情を持て余して、途方にくれているというのに、臨也さんはわざわざそんな嫌なところを器用に突いてくる。
どうせ人間観察の一環として僕の反応を見るために言ったんだろうってことが容易に推測できて、なんだか虚しい。
頼むから僕のことは放っておいて。
これ以上期待させるようなことを言わないで。
本気で好きでもないくせに。
ああでも、人間ラヴと公言して憚らない彼にとって、人間の一人である僕も一応愛されてはいるんだろうな。
そのことを思い出して、ますます自己嫌悪に陥る。
何でこんな人なんかを……?
思わず自分に問いかけてしまった。だが、答えが返ってくることはなく、言い様のないもどかしさにイライラする。
この感情の正体を分かっていながら、あえて気づかない振りをしようと僕は目をそらした。
そうしたからと言って、何かが変わるわけではない。
しかし、それに向き合うくらいなら逃げ出したほうがましだ。
「認めたら?楽になれるよ」
それなのに。
この男は毒入りの甘い言葉で僕を絡めとろうとする。
ほんと、やめてほしい。
迷惑だ。
「何のことですか?」
惚けるついでに、八つ当たり気味に睨み付けた。
効くとは最初から思っていないけど、それでも、ニヤニヤ笑いを浮かべたまま大袈裟に肩をすくめるその仕草に、思わず舌打ちを漏らす。
「愛してるよ、帝人君」
繰り返される言葉に、反論しようと口を開きかけ―――
「この世で一番」
続く言葉に固まってしまった。
―――嘘だっ。
そう叫びたいのに、心の奥ではその言葉を信じたがっている。
相反する想いに葛藤し、動けずにいる僕に向かって、臨也さんはゆっくりと歩み寄った。
赤みがかった瞳が物騒に煌く。例えるなら、獲物を目の前にした肉食獣のようだ。
―――ヤバイ、逃げなきゃ。
頭の中で警鐘が鳴り響き、一刻も早く逃げなければって思うのに、体が言うことをきかない。まるで金縛りにでも遭ったかのように、指一本動かせない。
すぐ目の前まで来た臨也さんは、両手の掌で僕の顔を包み込んだ。
「ねぇ」
真正面から瞳を覗き込まれ、暗示をかけるように囁かれる。
「いい加減にさ、堕ちてよ」
ああ、逃げられない。
それを悟るのと同時に、視界が赤に染まった―――
「見てよ帝人君!予想通り上手く行ったよ」
「そうですか、それは良かったですね」
カップの中の熱いココアに息を吹きかけつつ、適当に返事を返す。
それが気に入らないのか、臨也さんは拗ねたように頬を膨らませた。
子供か女の子がやればかわいらしいその仕草を、成人した男が何の躊躇いもなくやってのけたものだから、呆れるしかない。
「それで、これからどうするつもりですか?」
溜め息が出そうになるのを堪えて続きを促せば、それはそれはうれしそうに顔を輝かせる臨也さん。
分かりやすすぎる反応に、思わず『誰だよっ』と心の中で突っ込んだ。
あれ、臨也さんってこんなキャラだっけ?
こんな手の掛かる人だっけ?
幾つもの疑問が頭の中で渦巻くが、それを口には出さない。
なんだかんだ言っても、結局僕はこの人を嫌いになれない。
いわゆる「惚れた弱み」ってやつ。
たとえ他の人を地獄に突き落とした悪魔だと分かっても、僕の気持ちは何一つ変わらなかった。
その代わりに、つくづく思ってしまう。
―――僕って趣味悪いなぁ。
まあ、いいけどね。もう諦めた。
なんだか諦めの悟りが開けそうだなぁ。
そんなことを思いつつ、僕は臨也さんの話に意識を集中させた。