減法と加法の無法盤上遊戯
知ったことじゃない、と仕事をしながら彼女は思う。
上司は仕事のほとんどを彼女に任せ、半ば拉致してきた彼女にとっての害敵を意味の分からないボードゲームにつき合わせている。害敵は表情を作ること、声を発することすら面倒だとばかりに無表情と無口を貫いていた、それはそれで疲れるだろうに。しかし彼女が害敵の味方をする筈もなく、ゲームは続けられている。
武舞台は灰色の板にやや明度差のある灰色の線が引かれた盤である。線なのか面なのか判断がし辛い上にオセロ、チェス、将棋、その他2者が盤上で駒を打ち合うゲームの駒が種類を問わずこれでもか、という程に用意され、ご丁寧に将棋の駒すら色分けされていた。色は白と黒、ではなく無色透明と減法混色の成れの果て(何故か黒とは言い難い、言いたくない)である。どちらがどちらの色を使っているかは言うまでもないだろう、上司が減法混色、害敵が無色透明、お誂え向きの配色だ、と彼女でも思うがこれが他の、例えば害敵の親友だとか同級の女子だとか後輩だとか、まあ有り得ないだろうが池袋の都市伝説や上司の天敵だったならどうしたのだろう、と考えて、しかしすぐに止める。上司はその腐りきった金銭感覚でそれぞれに誂えた配色の駒をこともなげに揃えてしまうのだろう。恐らく間違っていない推測と、その推測に至る疑問を提起してしまった自分にもげんなりとした。もう誰でも良いからこの上司を完膚なきまでに叩きのめしてくれないだろうか、精神的にでも、身体的にでも。
「君もそう思うだろ」
チラリ、と盤を見やれば線上にも面上にも駒が溢れ返って混沌となり、ついでに言うなら明らかに無色の劣勢だった。それならそれで良い気味だ、と息を吐いた
「……臨也さん」
その時だった。
害敵がようやく口を開く。
「人間も貴方を愛すべき? 何を言ってるんですか。貴方が人間を愛した時点で貴方にそんなことを言う権利は欠片もありません。殺生与奪の権限は全て、貴方が愛した人間にあり、貴方は人間に少しでも好い返事を貰うべく尽力すべきです。如何なる手段を用いても人間に気に入られるよう尽くすべきです。もう一度言いますが貴方には一切の権限がありません。形振り構わずいっそ滑稽な程に尽くして尽くして尽くして尽くして尽くして尽くしてからようやく返答を貰えると思うべきです。その返答が必ずしも好い内容とは限りませんが、そこで初めて貴方に選択という権利が生じます。諦めるなり、それでも追い続けるなり好きにすれば良い」
上司が呆気に取られている間に、害敵はバチン、ガン、と盤が壊れるのでは、と思う程に音を立てて駒を打つ。ルールなどあってないようなこのゲームに、しかし害敵はオセロならオセロの、チェスならチェスのルールに則って駒を置いていった。律儀なことだ。
そして上司が我に返った時にはもう遅い、減法混色の成れの果ては駆逐されほとんど残っておらず、周囲を無色に囲まれている。どこかで見たような配置だと思いながらそこまでの嫌悪感がない、寧ろ清々しい。
「…………さすがにこれは反則じゃないの?」
「どの口がそういうことを言いますか」
コン、と混色の駒が置かれるも、ガン、と打たれた無色の駒に倒された。
「ならその理論に殉じるとして、君は非日常にフラれたらどうするの?」
「愚問ですね、当然ながら無理心中を図ります」
再び置かれる混色の駒は無色の駒に挟まれて寝返った。
「被害妄想だって笑うかも知れないけどさ、俺が人間にフラれる前提で言ってない?」
「被害妄想ですね、前提ではなく願望ですから」
「……結局のところ、言いたいことは?」
引き攣った口元、駒を持つ指、駒が盤に触れると同時に振り下ろされるボールペン。
「フラれて絶望して再起不能にでもなって下さい」
上司があと少しのところで手を退いたためにボールペンがその指を潰すことはなかった。舌打、上司が睨みつけてくるが知らぬ振り。勝負あり、無色透明の逆転勝利だが彼女はとても気分が良かった。地味に凹んでいる上司を尻目に害敵に声をかける。
「貴方のことは大嫌いだけどこの瞬間になら言えるわ、アリガトウ」
「ドウイタシマシテ。ところで今日、僕に手を上げないでいてくれたお礼になるかどうか分からないんですけど」
害敵は白い封筒を渡してくる。金銭だったらこの場で殴り倒そう、と思ったのだが
「ッ!!」
中身は愛しい愛しい弟の写真だった。
「……竜ヶ峰帝人」
「はい」
「休戦してあげても良いわよ?」
「喜んで頂けて何よりです」
その日は害敵(休戦中)と夕飯を共にした。
作品名:減法と加法の無法盤上遊戯 作家名:NiLi