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恋情の檻

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 傷をつけたくない、と一点張り。先日ヨウスケの背中に刻まれた、幾つかの爪痕の事を気にしているらしい。
 確かに、傷が痛くなかったといえば嘘になる。伸びた爪先はを赤い筋をつくり、焦がすような痛みをもたらした。だがそれも数日のこと。今や傷もヨウスケの記憶も風化して、掘り返されなければ思い出しすらしなかった。そもそも最中なんて互いに我を忘れているものである。ところが幾ら宥めても、タクトはそれを甘受しない―――それどころか改善策を立てて、今この瞬間に挑もうとするのだ。命を懸けた出撃の時も、二人だけが共有するセックスの事も、同等の力で向き合うのがタクトだった。
 暫し考え、迎え入れられた結論が、目の前の状況である。白い手首を揃えて、ヨウスケの前に差し出している。
「僕の腕を、縛って欲しい」
 腕を縛り上げれば、君の事を引っ掻く事もないだろう。予想より遥かに斜め上。突拍子な結論に目を丸くしつつも、並べられた白い手首に固唾を呑んだ。早くしろ、と言わんばかりにタクトは自身のネクタイに視線をくべる。言われるがまま、脱ぎ散らかした服の山からネクタイを摘み出し、合わせられた手首を纏め上げた。
 白いタクトの肌に、濃藍のネクタイ。果てし無く対照的なコントラスト。言われるがままにしたとはいえ、タクトの行動を物理的に制限したという事実が、ヨウスケの肌を粟立てる。隠すことなく晒された肌に、引き寄せられたかのごとく吸い付いた。手のひらの付け根、ちょうど皮膚が薄くなった箇所を舌でなぞると、タクトの身体が小さく揺れる。
 普段のストイックさがひとつずつ剥がれ落ちて、素直な反応をヨウスケに晒し出す。身体のほぼ末端に触れているだけなのに、それだけでタクトの全部がゆらゆらと色めくのが不思議だった。
「タクト、」
 静脈の浮き出た皮膚に唇を寄せたまま、名前を呼んでやる。刹那、長い髪がヨウスケの肌を撫ぜ、その感覚の恋しさにまかせてもう一度続けた。タクトの髪が更に激しく揺れる事で、顕著な反応を示している事を知る。
 口接けがしたくて上向くと、唇を噛み締めて俯くタクトと目が合った。少しばかり触れただけなのに、タクトの視線は既に蕩けている。甘ったるく融解するのはいつもの事ながら、今日はそれが幾分早い。気持ち良いのか、そう問いかけてやりたいと思いつつ、上手く言えない。自分が思うことを口にするのは昔から不得手だった。
 言葉で示せない代わりに、タクトの唇に噛み付いてやる。密に絡み合う舌、熱の充満する口内で小さく水音が鳴り響く。キスもセックスも慣れてはいないものの、刻み付けられるような感覚が割と好きだった。タクトに傷つけられるのもそうで、痛みを感じつつも嫌いではなかったと、ふと思い出す。
 自分のものにされている、そんな感覚がヨウスケを捕らえるのだ。同時にタクトを傷つけたいとも思う。事実、ネクタイを外す頃、タクトの手首に刻まれる痕を妄想して興奮している。出来る事なら、薄くて白い肌に歯を立てたいと、身体が疼く。好きだと口で言えない代わりに―――情欲ばかりが研ぎ澄まされていくのだ。
作品名:恋情の檻 作家名:nana