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銀の流星

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 ――わたしをひとりにしないで。


 東京の闇。窮屈に押し込められているかのように立ち並ぶ高層ビルが空を遮り、人工の光が動いたり止まったりしている。そして、とても無機質で無関心な音がそのすき間を縫って進んでいた。所も様々に、賑やかな色の濃淡は異なっている。おもしろいことに。けれど人々は無関心なのだから、そういったものを気に留める者はめったにいるわけではなかった。それでも街は艶やかだった。
 都内には野外音楽ホールが設備されている広場がある。そこはこの都会の中でも淡い静寂をもっていた。
 青く、白く、夜の闇を共有している。それは、頭の中に突如として現れた巨大なスクリーンに映し出される映画――活動写真のようなものだ。そこから直接頭に舞い込むような。
 その中心にただひとつ、ぽつりと置かれたグランドピアノが異様な存在感を放っていた。白く輝く月光が柔らかに降りそそぐ。
 息を呑む光景だ。一歩動けばあっという間に現実に引き戻されてしまうだろう。それは老いた緑の世界の中の光。濁りを知らない月の眠り。
 ピアノが星を流すような音。しっとりと溶けて消えてゆく。細くて小さな指先からうまれ、腕をのぼって、首筋を撫で、唇に触れる。無垢であるから多くの色がつくられることはない。ちらちらと、銀の星のようなものにくるまれて、空へと浮き上がる。
 宇宙へは届かないのだろうか。もしかすると届いているのかもしれない。けれど、真実は誰も知らないのだ。
 変種調のアルペジオがうら淋しい旋律を紡ぐ。音の震わす空気は無色透明になる。それが月の光を浴びて綺麗なオーロラになり、星をあたためている。
 幻相的だった。都会の中にも、まだ、このような景色が残っていたのかと思われるほどに。
 しかし、ひとたび音がやむと、そこはただの音楽ホールになる。閑散とした、都会の一部に。
 それは、銀の少女がみせる幻なのかもしれなかった。


 一人の男が現れた。男は夜の闇よりも深い黒のコートを身に纏っている。
 若く、老いた瞳。その双眸は、銀の少女を見つめていた。
 ――何か見えるのか。
 男がたずねると、銀の少女はゆっくりと頷いた。
 ――・・・月の光が、わかる。
 男は死神だった。人間でありながら契約者となり、契約者でありながら人間であり続けることを望んだ。それは同時に大きなリスクを伴うことを意味している。しかし彼はそうした。そうするべきであった。あの時の彼は、これが仲間の死へのせめてもの償いであると考えたのだ。
 だが、それはほんとうに正しい選択であったのか。
 彼は思いあぐねていた。
 月光は慈しみをもって彼を照らしている。彼のすべてを赦してしまうようなあたたかさが。そして彼は月の包容から逃れようとする。拒絶し、潜み、怯むのだ。とうとう彼は月の目から逃れられなかった。
 彼は夜の生き物になってしまったのだ。
 ――水のような音がきこえる。
 耳を澄ませ、銀の少女は言った。
 静寂を知る声。
 ――かなしい音。ヘイは、かなしいの?
 少女は盲目だった。彼女は、月の光も、ピアノの鍵盤も、黒い猫も、煙草の煙もみえない。音や感触、におい、絶妙な空気の変化を辿ってようやく真実の端に立つことができる。そしてそれは誰よりも核なる部分に近い場所でもあった。
 彼女もまた、この月の光のように彼のことを照らしていた。自分よりも見てきた世界は狭いというのに、彼女は必ず彼のそばにいる。彼がどこに潜んでいても。
 水のようにつめたく、水面の月のように朧げで、世界を知らない瞳をもつちいさな身体。それを愛おしくおもうことは、彼を締めつけるだけだった。甘く、苦しく、生への執着心を煽る。世界を知らない彼女の瞳は、取り繕うこともなく真っ直ぐに彼を映していた。
 ――かなしい?・・・ちがう。俺は、かなしいはずがない。でたらめを言うな!
 ごおん、と静寂を裂く声。ざわざわと木々の揺れる音がしてふたたび静寂が訪れるとき、彼は彼を戒める。ひどく傷つくのだ。闇の中でひっそりと。
 (失ったものはもう戻らない。赦してほしいわけじゃない。俺はもっと、責められるべきだ。)
 彼は崩れるようにその場に膝をつき、こめかみを押さえた。視界が歪む。月の光に酔ったのか、彼女に酔ったのか。おそらくは、彼の中で渦巻く偽りの声が彼を始終押さえつけているのだろう。そこにあてられた愛情が、彼に傷口を見せようとしていた。
 夜空にある星の群れを、誠とも偽りとも見定める術を、誰が知る由もない。
 ――ヘイ。あなたは、もっとわたしたちを見なければならない。心から。あなたの内側から。
 月光を背に男を見つめる少女は、彼にはとても眩しい。夜の幻想を身に纏っている。地のエネルギーはめぐって、ほうっと消えてしまう。闇に包まれても彼女は美しかった。
 少女にも以前は闇があった。彼の抱えるそれとは少し色が違っても、先の糸は鋭利であり、いつでも彼女を縛るにはじゅうぶんすぎるくらいだった。
 ピアノのこと。甘やかな瞳。指先。トラック。白色のランプ。クラクション。飛行機。父のこと。美しい夜の星。――そして、母のこと。
 闇の中では様々なものが蠢いて、火花が散ったように小さく小さく、彼女の身を焦がしていった。
 少女は、忘れようとしていたのではない。忘れないでいようとしていた。色鮮やかな記憶も灰色の記憶もきちんと抱えようとしたのだ。そこからうまれる恐怖、絶望、愛情を受け入れようと。必死にもがいた。
 そして手を伸ばした先には彼がいた。彼らがいた。
 彼女にはそれだけでじゅうぶんだった。
 ――ヘイ、逃げないで。
 闇を切り裂くわけでもないのに、彼女の声は凛としていた。静かに佇む、それこそ、月のように。
 星は都会の明かりに隠される。かれらは、決して場所を奪われたわけではない。見えなくてもそこに存在している。ただ、人の目に映るにはあまりにも地上の星が明るすぎるのだ。それは、世界の夜空が偽りの星に変わった今でも同じこと。隠れようとしているのは彼だけだった。
 彼は責める。自分が生きてまで、仲間が死ぬ必要はなかったのだと。
 しかし彼は知っている。琥珀の最後の能力によって渡航した次元には、妹や仲間の姿があった。それらは、たしかに、彼を生かすためのものだった。そしてそれは現実となる。銀は銀であることを選び、黒もまた、黒であることを選んだ。いつかおとずれる何かのための、はじまりに過ぎない。
 ――わたしをひとりにしないで。
 そう言った彼女の手を取ったのは、紛れもなく。



(2008.08.02)
作品名:銀の流星 作家名:こけし