レトルト
おそらく、来週の学会についての件だろうと火村は予想を立て、受話器を取った。
「はい。ひむ「きゃーーーーーたすけてくれぇ~!キガマジンに殺されるよぅ~」
俺のセリフをさえぎるようにしてこんなトンチンカンなことを言い出す知り合いは一人しか居ない。
俺は、額に青筋が浮くのを感じた。
「オイ、アリ「今すぐ助けにきてくれぇ~~~!食べ物もって」
ガション。
ツーツーツー・・・・・。
「グァ!!!」
俺は文字にするのが難しい言葉を吐き、受話器をたたき付けた。
「せ・・・先生?」
恐る恐るといった感じで、部屋にいた生徒の一人が声をかけてきた。
「どうしたんですか?」
人にあたってはいけない・・・大人気ない・・・だが、俺が目をそちらに向けると、生徒たちはヒッとのどの奥で悲鳴をあげ、凍り付いてしまった。今の俺の姿を描写するとしたら、背中を丸めて怒り狂う猫だ。フーフー・・・・。
そのとき、ガチャンとドアの開閉する音がした。
「お~ヒム~。どうしたんですか?毛を逆立てて」
「・・・・」
今度こそ確実に、青筋がういた。しかも、眉毛は鋭角にあがっているだろう。
入ってきた男は、日本人より日本語のうまいジョージだ。彼には俺の表情がわからないのだろうか?のほほんとした顔と言葉で俺を見た。
今、彼を相手にしている精神的余裕は1ミリたりともない。
俺は、悪いが彼を居ないものとみなした。
「残り、1コマ!休校だと伝えておけ!」
俺は生徒の一人にそう命令すると、部屋を飛び出た。普段なら、もっと冷静で知的な言葉で指示をしただろう。だが、ボケ推理小説化のせいで、俺の機嫌は地の底をはいずるように悪かった。
「アリス!!!!」
俺は、それこそ暴力団が他の組に殴りこみに行くようなくらいの勢いでドアを開け、叫んだ。
「うーーーー。遅かったやないか」
くそ忌々しい。来てやっただけでもありがたいと思え!
「お前、さっきの電話は・・・」
言いかけて、アリスの姿が見えないのに気付いた。さっきの声は割りと近くで聞こえたはずだが・・・。
「・・・アリス何処だ・・・?」
一瞬、怒りを忘れて部屋の奥をうかがうと
「こ・・・ここや・・・ここ。下」
「下・・・・?ゲッ!」
そこにアリスがいた。いや、元アリスだったものがいた。
「お前いつの間に死んだんだ!」
そこに居たのは、いまやドライフルーツのように干からびた男だった。
「君、ひどいな。確かにソンビみたいかもしれへんけど、まだご存命やぁ」
ふむ。確かに。今までしゃべる死体には出会ったことがないのでまだ生きているのだろう。だが時間の問題のようにも思えた。だが、一体なんでこんな格好になっているのか・・・。俺は玄関先でしゃがみこんだ。
「お前なにやってるんだよ」
「ラマダン」
「ラマダン・・・?」
「せやから、断食や」
ここで、イスラムのことについていろいろ論議を交わしてもいいが、そんなことをしたら、本当に死んでしまいそうなので、とりあえず手に持ったコンビニの袋から栄養ドリンクを取り出した。
「チッ・・・とりあえず、ゼリー買ってきたから飲め」
ひくひくと痙攣しながら、伸ばされた手にそれを渡してやる。
「お~火村~。気ぃきくなぁ。2時間ちゃーじぃ~♪」
っと楽しそうにいったのもつかのま、アリスは片手でボディ、片手で蓋を持ったまま固まっている。
恐らく、その程度の力も入らないくらい死に瀕しているのだ。黙ってたら泣き出しそうな気配に俺はまた舌打ちをする。
「・・・・貸せ」
アリスは素直にそれを俺に手渡し、俺がそれを開封してからもういちど渡すと、口につけた。
しばらく黙って飲んだあと、
「ううう~宮沢賢治の気分やぁ」
といった。
「意味がわからん。」
「う~心にしみるぅ~」
「馬鹿、細胞に染み渡ってるんだよ」
アリスは、じゅるじゅるとそれを飲み干し、ようやく人心地がついたようだった。
顔をゆっくりとこちらにむけた。真っ白な上にへろへろ。なんかの病気みたいだな。
「ありがとうなぁ~。ほんま飢餓魔人に殺されるとこだったわ」
キガマジンは飢餓魔人か・・・。
「まぁ、そんだけへろへろになってたらな。ほら」
そういって、俺はアリスを支えながら立ち上がった。軽い・・・。
「へー」
と、トレーナー越しに触った体の線に驚く。肉らしいものに手があたらないのだ。
「うわ・・・お前本当にがりがりじゃねぇか!」
「へー」
するめみたいだ。
「うすっぺらくなっちまって」
「へー」
そして、部屋にはいってまた驚く。これまでの経験から、彼の部屋が散らかっていることはよくあったが、あくまで居心地のいい散らかり具合といったところだったのだが・・・この惨状は一体・・・。
「きたねぇ・・・部屋」
「へー・・・ってなんやとぉ!」
今まで大人しく返事をしていたくせに、何故かそこで怒るアリスにため息をつく。
「てか、お前、部屋の方がきになるんだな」
「ん?」
「はぁ・・・もういいよ」
俺は、ソファに置かれた雑誌類を適当に床にはらい、アリスを座らせた。
「とりあえず、レトルトのおかゆ買ってきたから、まってろ」
俺がそういって、立ち去ろうとすると、アリスが袖を引いた。
「火村が作ってくれるんやないの?」
はぁ・・・またため息が出た。自分の状況をわかってるのだろうかこの男。
「馬鹿。そんなことしてたら時間がかかるだろう?レトルトで我慢しろ!」
アリスの手を払って、キッチンに歩き出すと、後から“へー”という気の抜けた声がした。
生徒「こ・・・こわかったですね」
ジョージ「手負いの虎のようでしたね♪ははははは♪」
生徒「よ・・・余裕ですね・・・・」