振袖小町
これが帝國から祖父の日記と引き換えに、カナに対して貸し出された帝國の軍だった。
「あぁ、これはいいところに姫様」
そして、この天幕の主であり貸出帝國軍を統括する人物が、彼女の眼前に佇んでいる陸軍大尉・有馬信実である。
「妹がこれを送ってきましてね。おさがりで申し訳ないが、よろしかったらどうぞ」
布で包まれた何かを有馬から手渡された。
かなり無造作に渡されたが、包み布も柔らかく手触りのいいものだ。
相変わらず何を考えているのだろうか、このヒトは。
カナは嘆息しながらも受け取った。
布の包みを解いて、中を覗き込み……彼女は頬を引きつらせる。
「こここここここれは……っ!」
前回といい今回といい、この男はなんというものをこの貧乏王国に持ち込んでくれるのだ。
「これは一体なんですっ!?」
「何って、あぁ、振袖……帝國において、妙齢の女性が着るものですな」
彼はこともなげに言ってくれる。
「受け取れません!」
それはこんな辺境の地には存在しえぬもの。大レムリアでさえ、これほどのものは存在しないだろう。
手触りも滑らかで素晴らしく、金糸銀糸の刺繍もふんだんに凝らされている。そしてなにより、染料を駆使し色鮮やかだ。どこからどうみても、最高の贅を凝らしたものである。仮にも本当にも王室育ちのカナでさえ、見たことないほどの繊細な織物だ。
有馬には他意はなさそうだが、受け取ってしまったら、後にどれだけの代償を要求されるかわからない。これは後が怖すぎて受け取れない。
「自分の私物を姫様に差し上げるだけのことですが」
「それでも受け取れませんっ」
カナは頑なに拒む。対する有馬は困惑の顔 ―― 内心、大して困惑していないかもしれないが ―― であった。
「困りましたな。自分が持っていても仕方のない物ですから、市場で売り払うことに……」
「それもダメですっ!」
駄目というよりも無理だ。この国の商人では手に余る。この国に出入りしている商人でさえも扱うことを渋るだろう。リスクとリターンを量りにかければ、若干、リスクのほうが重たくなりそうだ。
すると、有馬は何かを思いついたらしく、手を一つ打ち鳴らした。
「では、こう考えてはいかがです、姫様。この布は帝國でも高級品です。布切れにして売ったとしても、こちらでならば一財産築けるだろう。商人に売り払って城下復興の資金源にしてもよろしい。叛乱軍を打ちのめすためとはいえ、城下町を吹き飛ばしたのは帝國海軍。帝國の軍には違いありません。故に帝國はこれをもって賠償する」
しかし、それはそれで問題がある。
「これは帝國のものではなく、あなたの私物なのに? それではあなた個人が賠償しているようなものではありませんか」
だが、有馬は彼女の指摘を無視した。
「それにあなたのお爺様もあなたの艶姿をさぞやご覧になられたかったのではないかと」
カナの両肩が震える。
なにせ彼女は爺ちゃんっ子。祖父のことを持ち出されると弱い。有馬は彼女にとって一番の急所をついてきた。
それに加えて、カナの眼前に差し出されているものは、祖父がどれほど望んでも帰れなかった彼の故郷・帝國の衣装。
長い長い葛藤の後――。
「ずるいわ」
カナは嘆息とともに敗北宣言を搾り出す。
「自分は大人ですから」
だからずるいのだ、と彼は笑った。
「でも、これの着方もわからないわよ」
彼女はささやかな最後の抵抗を試みるが、
「それもそうですね」
同意した有馬は、カナの手からその振袖を浚って服の上から彼女の肩にかけた。
とろり、とした布の重さは不快ではないものだ。
だいぶ大きいのではないか、と訊ねようかとも思ったが、彼は巧みに着付けていく。
「着せるよりも脱がすほうが得意なんですがねえ」
カナが有馬を睨み付けても、彼は何処吹く風だ。
そして、腰帯を巻きつけると、
「あぁ、よくお似合いだ」
彼は目を細める。
どうやらできあがりらしい。
「似合う……? 本当に?」
「きっと彼も姫様に振袖を着せてやりたかったでしょうね」
有馬の双眸に一瞬浮かんだ色は感傷か。
やはりお人好しだ。
カナは思う。
有馬にとって、カナの祖父は面識のない人間だ。それなのに、ここまで気にかける。
帝國の神が真実、魔王であるとするなら、案外、彼はお人好しだからこそ魔王になってしまったのかもしれない。仕方ないなぁ、と苦笑しながら、敢えてその地位を引き受けたのかもしれない。
そんな気すらしてくる。
有馬にとって、城下町の賠償などというのは恐らく口実なのだ。ただ単に、一度でいいからこの姿を祖父に見せてやれ、という意図なのだろう。
「お爺様に見せてくるわ」
「そうなさってください」
それにしてもこの服は歩きづらい。足に纏わりついて捌きが悪いのだ。
つんのめって転びかける彼女を有馬は抱きとめた。
「うぅぅ〜」
カナは屈辱と羞恥に唸る。
「噛み付かんでくださいよ?」
「噛み付きません!」
「これは失礼」
有馬はまったく誠意の感じられない口調で謝ると、カナを片手で抱き上げた。
「で、どちらに向かえばよろしいので?」
「……あっちよ」
不承不承、カナは指を差す。
そして、彼らは有馬隊の面々とシュヴェリン王国の面々が呆気に取られる中、言い争い ―― カナの一方的なものであるが ―― をしながら、王墓へと向かった。
(20100217)