雨
いつから あいつがあんなに愛しくなったのかはわからない。
でも、これだけは本当だ。
あいつは俺を孤独という暗闇から救い出してくれた。
あの、綺麗な白い手で。
*
「…………アーサーさん?」
「……………ん。ちょっとぼーっとしてた。悪いな菊」
「いいえ」
そう言って手に持った傘を傾げる菊。
傘の先に付いた絹糸の房飾りがさらりと揺れる。
黒の漆塗りの骨組と朱い紙でできた傘。
その下の黒い着物姿の菊。
色白の彼には黒い着物がよく似合う……………。
ぼんやりとそんなことを思ってみた。
「アーサーさん?」
「あ、…………すまないな。最近なんだか疲れやすくて…………どうしてだろう」
「まあ、それは大変ですね」
黒目がちな瞳を少しだけ見開く菊。
「………大変って程じゃないけれど………特にこんな日は物思いに耽りたくなる」
「わかります。こんなに美しい雨の日は………」
菊は空を見上げる。
その横顔の輪郭が緩やかな曲線美を描いている。
しっとりと降る雨。
灰色の空に朱い傘。
黒い着物。
白い肌。
*
「まあ…………」
菊が驚いた様な声を立てる。
「どうした…………?」
「あれを御覧下さい」
菊が優雅な動作で指し示したのは、一羽の小鳥。
地味な枯れ葉色の小さな鳥。
「あの小鳥は………不如帰っていうんです」
「お前ん家の和歌によく詠まれているやつだな」
「まあ。よくご存知ですね」
大好きなお前が好きなものを俺が知らないはずがない。
思ったが、口にな出さなかった。
「では、これはご存知ですか?」
菊が少し哀しそうに言う。
「不如帰はね、血を吐きながら鳴くんです」
「…………え………………」
「昔から、そう言われているんです」
「……それは…………つまり………」
「何事にも命がけということですよ………。私達みたいに」
「………そっか。そうかもな」
*
やがて、大きな戦争が起きる。
世界中が巻き込まれる。
俺と菊も、きっと敵味方に分かれてしまう。
しかし、みんなが命をかけて戦っても………。
雨だけは、きっと変わらずに静かに降り注ぐ。
そして、俺に思い出させるのだ。
この、淡い初恋を。
END