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大型犬と帝人

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犬科お断り




 あれ、と頭の中で言葉がよぎった時はもう遅かったように思える。
非日常を具現化してくれる不可思議な池袋を、何気なく散策していた僕は偶然自動喧嘩人形と大仰な通り名を持つ静雄さんを人混みの中に見かけただけだった。いつものように止まれと書いた標識を振り回し多数の不良をなぎ払う様子に惚れ惚れしていた。唸り声も青筋の立ったこめかみもいつも通り。いつもと違ったのは、その静雄さんが突然制止したことだった。


…?


どうしたのかなあ。
何か見つけたのだろうか。静雄さんは標識を放り投げ、くん、と鼻を鳴らす。その様子がどう考えても大型犬にしか見えなくて、思わず和んでしまった僕は随分と池袋に慣れてしまったんだろう。

静雄さんの顔が左右に動く。
何かを探しているようだった。いつも一緒の上司さんを探しているんだろうか。


そして顔がこちらを見た。
僕も静雄さんを見つめていたので、自然、目線が合った。



その途端、大股で静雄さんがずんずんと近づいてくる。
えっ。僕何かしたか。いや後ろに臨也さんがいたとか。なんて迷惑、やばい本当に臨也さんがいたら何かされる。後ろを振り返ってみるが知り合いはいなかった。というか静雄さんの気迫が怖かった。オーラっていうのか。覇王っていうのか。後ろにスタンドが立っていても納得が出来るくらい、迫力があった。今まで興奮していた所為だと願いたい。というか足がこっちに向かっていることに正直恐怖しか感じない。


えーと。


静雄さんはもうすぐだ。
人混みが割れる。なんたるモーゼ。
僕はそんな非日常にはぞくぞくしません。なぜだろう、先程曲がり角で別れたばかりの紀田くんの愛しのおねーさんが俺を待ってるヒァホォー!という阿呆まるだしの言葉がとても尊いものに思えた。紀田くん、カムバック。


足が自然と後ろに下がる。
唾を嚥下して、悪いコトはやっていないのに体が本能的に逃げようぜと叫んだ。
僕はそれを受け入れることにしたから、全力で後ろを向いて人混みに紛れる。大丈夫、静雄さんは僕の顔なんざ覚えていないはずだ。鍋の時しか会ってないし。いや覚えていてくれたら嬉しいけど。


ザワッ、人混みが疼いた。

僕が逃げたと同時に静雄さんが駆け出したようだった。
これが地獄のチキンレースってヤツか!びりびりくる視線に泣きたい気持ちを抑えながら走る。走る。ローファーは走りにくい。曲がる。裏路地を通っても足音はついてくる。それどころか段々差は縮まっているようだ。当たり前か。僕は体力もなければ、それほど運動能力に秀でているわけでもない。正直に言おう。恐ろしい。


後ろをちらっと見ると、サングラスをしていない静雄さんが妙に真剣な顔をして僕を追っている。僕にはその目が獲物を狩るハンターの目にしか思えなかった。というかハンターそのものだ。


本気で勘弁して欲しい。は、は、と僕の荒い息づかいとすぐ近くまで来ている靴音。どんなホラーゲームよりリアルな体験の方が怖いに決まっているもので。涙がにじんできた僕は突然急ブレーキをかけられた。襟元が絞まる。一瞬息が出来なくて、考えたことはなぜか蒟蒻畑の注意書きだった。


「ぐえ、」


ひょい、と持ち上げられる。わーなんでだろー視線が高い。目前には眉間に皺を寄せた静雄さんの顔。すごいなあ、ある意味絶景。きっと今日が命日に違いない。思い残したことはたくさんある。昨日作ったカレー余ったやつまだ食べてない。もったいないお化けが出てしまう。あ、あと明日はクラス委員の集まりで園原さんと出れるんだ。僕は生きたい。明日の集まりに出るまでは。


「……」


無言の静雄さんは顔を寄せると、僕の眦に。



ぺろっと、そんな、アイスを舐めるように。



涙をすくった。



そんな少女漫画な展開は望んじゃあいない。紀田くん、僕はこういう時何を言えば良いんだろう。体が硬直した。静かに地に降ろされる。此処は裏路地。人はいない。静雄さんは何をするのか、かがんで僕の首に顔を埋めた。えっ。なんなの。


「……あの」


がじがじ、と甘噛みされている。
誰にだ。平和島静雄にだ。おかしいなあ、僕の予定としてはこのまま家に帰ろうと。誰か教えてくれないだろうか。どうしてこうなった。



そんな僕の混乱をものともせずに、静雄さんはただ満足げに、おぉあめぇ、と呟いて食んでは舐め、かじり、匂い付けでもするかのように体をすり寄せた。なにこれ僕飼い主じゃないんですが。


まるで大型犬そのものになったような静雄さんにマーキングされながら、僕は紀田くん爆発しろ、と動かない体をそのままに明日の紀田くんを呪った。八つ当たりだった。



作品名:大型犬と帝人 作家名:高良