投了無しの盤上
自分の手の内を全ては明かさない。こちらが覗こうとすれば慌てて尾を残すように逃げていく。追っていけば、そこから始まる取引。甘いだけの関係なんてものは自分も飽きていたから、それは斬新で楽しかった。けれどそれだけだ。所詮子供だった。寛容ではあるけれど、寛大ではない。この子は自分の望むものさえ手に入ればいいのだ。そのための地盤を固めているだけで、全てはその欲しい物のため。そんなの、面白くはない。だから色々手回しをした。計画を動かしてみたり、時には邪魔をしてみたり。そうすれば彼はもっともっと進化、あるいはひと思いに壊れるのだろう、と思っていたからだ。
だというのに、これはどうしたことだろう。
「こんばんは、臨也さん」
囁く声はまるで日常に埋没している彼そのもので、穏やかに笑むその表情、全てがそのままだった。ただ違ったのは後ろに控えているのが、黒沼青葉だけではなかったということだ。彼が持つリードの先には首輪。あまりに非日常で、しかしどうしてだかぴたりと似合うそれがついた平和島静雄が腕を組んで狭い路地裏の壁に寄りかかっている。そうか。懐柔されちゃったのか。
「へえ」
その言葉で何かを悟ったらしい帝人くんがにっこり笑った。
「あなたが、自由にしてみろと言ったんじゃあないですか」
「ああ。そんなことも言ったね」
「僕は諦めが悪いですから」
「ふうん。奇遇だね。俺も実は諦めが悪い」
「知ってますよ」
天敵の俺がいるというのに、シズちゃんは見向きもしない。咆吼も暴力も振りかざすことなく、ただ目を閉じて首輪をさすっていた。そんなに大事なんだろうか。いや、そう大事にさせられたんだろう。一体何をどうしたんだか。地面に座ったままで、帝人くんを見上げた。目線が交差する。互いに愉悦の色を濃く表している様子がありありと見れたのか、帝人くんの隣に立っていた黒沼青葉が小さく舌打ちをした。ざまあみろってんだ。
「臨也さん、僕もあまり時間は取れなくなったんです」
「そう。これも奇遇だな。俺もやることができたよ」
「それは嬉しいです」
「分かってるくせにね」
「ええ、分かってます」
どこか少しだけ深い感情を含んだ苦笑いをする帝人くんに、俺は目を細めた。そうか、きみは一回死んでしまったんだね。そして君が生まれてしまったんだ。そうさせたのは俺だけれど、ごめんね。以前のきみより、どうしてだか背筋が痺れている。
「臨也さん」
「帝人くん、そうだね。君をまた置いていくために俺もやらなきゃね」
「そうですね」
それでは、さようなら。
もう会わないことを願った方がいいんでしょうけれど、僕はまだ、今のところ僕の生を使ってあなたを追い越す予定ですと覚えておいてくださいね。
「…すっげえ殺し文句だよ」
背中を向けて、いつかの自分みたく去っていく帝人くんは笑っていた。
いつかの帝人くんみたく、地面にへたりこんだままで背中を見送る俺も笑っていた。
追って追われて、また置いていく。
エンドレス・ループで君と俺が続いて回り回って、前か後ろか。
隣に立つより追いかけていた方が、きっと終わらない。終われない。そうすれば飽きられない。前だけを、君は俺を、俺は君を目指せるのだ。俺も君もタチが悪いほどお互いに対して諦めが悪いのだから。
その方が俺達にとっては良いんだろう。
甘っちょろい関係もいいね。でも塩辛くしてみてもいい。
全くこれだから、帝人くんってば面白い。
だから帝人くん、さっきのは俺を追いかけて、追い越して、君の一生をかけてそうしてくれるってことだろう?
なら、俺はそれに応えなくっちゃならない。
「それが俺達の愛し方だって言うならね」