いちばんさいごのその時を
※帝人=陰陽師、臨也、静雄=妖怪
一人ぼっちとひとりぼっちを合わせたら、独りではなくなるんですよ。寂しいなら傍にいてあげます。僕も、ちょっとさみしいから。
幼い声で彼がそう言ったから暇つぶしに付き合ってみれば、一瞬のうちに絡め取られた。慣れないのだと不釣り合いの小さな狩衣を纏って、舌っ足らずの声で己の名前を呼ばれる。体に、心に、存在に焼き付けられたちっぽけなまじないは深く刻まれた。思えば、きっとその日に自分がすべきことを見つけられたのだと、そう思う。
竜ヶ峰帝人は、いわゆる陰陽師と呼ばれている怪しげな職業を営んでいる。
彼が使役するあやかしの数は多く、また特異な力を持っているあやかしが多かった。それだけ使役するには彼自身の力が強くなくてはならない。その条件をあっさり越えるほど、彼に力は備わっていた。制御する力もまた。しかし、誰かが強ければそれを羨むものがいるのはつきものだ。そんなセオリーに従って、竜ヶ峰帝人は味方も多かったが敵の数も多かった。彼自身は優しく純朴で無害な少年であったから、無論、ほとんどはこじつけのような逆恨みばかりであったけれど。
帝人は大きな金色の狼を膝の上に乗せて、ゆっくりその毛並みを梳いていた。
心地よさそうに狼が鼻面を帝人の腰に押しつければ、それに応えて帝人は耳の裏をかく。クウ、と甘えた声を出す狼がどうしようもなく愛おしくて、綺麗な黄金の毛並みを梳く手は中々どうしてやめられない。ああもう今日一日はこうしていようかな、と考えていた帝人の行動はいつだって突然に止められる。
「帝人くん」
ただいま。
唐突に流れるように部屋に入り込んできたそれは笑って、座り込んでいた部屋の主を抱き上げた。がこん、と落とされる狼には故意に無視をして、何事もなかったように嬉しそうに喜びを表しながら、それは帝人に頬擦りをする。くすぐったいそれに苦笑をひとつもらした帝人は抱きついてきたそれを抱き締め返した。強くなる腕の力に、たし、と背中を叩けばすぐさま緩められた。頭の上に伸びた、黒い狐の耳がへたりと垂れる。
「みかどくんみかどくん」
抱き締められたまま、ふわりといくつもの大きな狐の尾に包まれる。足も腕も、体にも巻き付くそれの暖かさに思わずうっとりしていると、隣にいた別の存在がグウ…と唸ったのに気づいて思わずその尾達から抜け出そうとした。
「わ、は、離してください」
「いやだ」
「ああもう、臨也さん」
臨也、と呼ばれた狐のあやかしは呼ばれた己の名に嬉しそうに尾を振った。その尾の数は全て合わせて、六。六尾の狐のあやかしである彼は、主の帝人に使われることに極上の幸福を感じて毎度の如く、彼の頼みから帰還した後はいつも以上にひっつきたがるのが帝人にとっては少しだけ困りものだった。別にひっつかれるのは構わないのだが、それに構う別のあやかしがいたから。
「てめえ臨也よォ…折角の帝人との時間を潰してくれやがって?あれだよな?なんとかを邪魔するヤツは馬に蹴られて死ぬんだろうが此処にゃあ馬はいねえから、代わりに俺に噛まれて死ぬか?いや死ねよ」
先程意識的に落とされた金色の狼が人語を喋り、唸る。牙をむき出しにしてグウウッと唸ると、狼は一瞬にして人の姿に変わった。長身で金色の髪、怒りの感情が剥き出しな所為か鋭く吊り上がった目、伸びた鋭利な牙と爪。彼の名を、狼のあやかしで静雄といった。
静雄と臨也は帝人の数多くの使役する式神のうち、群を抜いて力の強い二匹である。忠誠心もまた根強く、執着か依存と表してもさほど変わりはない。だがしかし、二匹は壊滅的に仲は悪かった。
「シズちゃんはほんっと物覚えも悪ければ考え方も幼稚だよねえ。恋路を邪魔するヤツはってやつでしょ?シズちゃんと帝人くんの恋路なんて俺がぜんぶ、ぜーんぶ燃やしてあげるよ!そんなの引き裂いて潰して燃やして煤にして海に流してあげる。ついでにシズちゃんも燃やしてあげよっかあ?」
臨也が赤い眼を光らせて、鋭く伸びた爪の先に黒い炎を出現させる。ゆらり、と揺らめかせるそれに口の端を上げた静雄が握りしめた拳に瞬間、雷を纏わせた。段々雲行きが怪しくなる彼らにため息をついた彼らの主が、もう、と呟く。頭を抱える帝人は一体これが何度目なのか数えるのも馬鹿馬鹿しく、いつものように白の狩衣の懐から出した二枚の和紙に言葉をこめた。
「反省」
短い言葉。その言葉が呪となって、喧嘩寸前の二匹に届く。
臨也は額を押さえて、静雄は首の後ろに手をやって呻いた。
「うあっ帝人くん、いたいいたい」
「悪かった」
「何度目だと思っているんですか」
狩衣をただして怒るように声を尖らせれば、狼の耳がへにゃりと垂れて尾が下がる。静雄はすまん…とその場に正座した。その隣に臨也もごめんと尾をしゅんとさせて謝る。帝人は肩を落として、本当に仕方ないんだから・・、と若干諦めた。
妖狐の臨也と妖狼の静雄。二匹は特別だった。
静雄と臨也は帝人が使役する中で、二匹だけが特別だった。
本来力を代償とする式神との盟約で、彼らだけが帝人の別のものを欲しがったからだ。それは一部でなかった。力でもなく、声でもなく、耳でもなかった。彼らが欲しがったのは、ある意味ふたつとないもので、きっと彼らにとって帝人の強大な力よりずっと甘美なもの。
彼らは魂を望んだ。
帝人の死後もすべて含めた、魂を望んだ。
それは一部ではないけれど、全てであった。人間とあやかしである双方は必ず別れが来ることを理解していた。だから誰より貪欲であった臨也は帝人の魂を望んだし、誰より孤独の獣であった静雄は同じものを望んだ。誰より憎み合っていた二匹は奇しくも同じものがほしかった。
誰より愛おしい。
彼以外の誰にも傅いたりはしない。
けれどそれは命を賭した契約。
彼がどんなに使役したところで、最後に彼を喰らうのは彼らなのだ。
欲を持って、愛を持って、化け物達が焦がれた人間は最後は可哀相に、魂すら残らないだろう。身ですら綺麗に平らげてくれるだろう化け物達はその人間を決して逃さない。それを望んですらいる人間はいつしかその時が訪れるまで少し、待つだけだ。それしか残されていないわけではない。
だが、跡形もなく彼らの一部になるそれもいいかもしれないと穏やかに笑えてしまうから、二匹が何より好きだったから、人間は、帝人は鮮やかに自分が食われる日を思って今日を過ごす。
今すぐ食ってしまえば、と問いかければ穏やかに否定される。その否定がどうしてなのかはわからない。だが分からないからこそすれ、二匹が自分のそばにいるのだと理解していた。きっとその否定如何が理解することになったら、二匹のどちらかがいなくなってしまうような、そんな気がした。
「帝人くん、」
臨也が帝人を呼び、伏せていた目を開ければ大きな獣二匹が行儀よく座っていた。どちらにしろ鼻面が長い獣を呼び寄せて二匹同時に抱き締める。艶やかな毛の感触に目を細める。
「喧嘩はなしですよ」
「……おお」
「……うん」
しかしもう何年と連れ添って彼らの宥め方は分かるが、未だに沸点がいまいち正確にはわからない。それが帝人の長年の悩みであった。
作品名:いちばんさいごのその時を 作家名:高良