否定も肯定も同じ
笑顔でそう言う人の言葉に眉を寄せる。まいったと言うが、全然まいった風に見えないしこの人がまいったと言うべき状況は池袋最強に追いかけられた時ぐらいしか思いつかないからだ。訝しげに見る自分を見て、目の前の情報屋は口の端を上げた。
「ねえ、帝人くん」
「なんですか」
呼びかけられて、答える。
当たり前のことをしているのに、些細なことなのに破顔一笑。噛み締めた笑いを洩らす新宿の情報屋、折原臨也は帝人の肩に右手を置くと顔を近づけた。
「俺はねえ、」
息がかかる。
耳は弱いので勘弁してほしい。少しだけ身をよじらせようとしたが肩に置かれた右手がそれを許してはくれなかった。強い力だ。見かけは細いくせしてしっかり筋力はある。まあ、平和島静雄と小規模の戦争をするくらいだ。身体面で秀でていなければ彼は此処に生きてはいまい。
「本当に、本当に気づかなかったんだ」
「ええと?」
「有象無象の愛すべき人間達がこんなにも、一億にも三億にも存在しているのに、人間とは思いたくない憎いシズちゃんを抜いた、たったひとりのごく一人の人物だけが異例で特別で異質だってことをさあ!それはきっと俺にとってだけなんだろうけどそれだけでも充分に価値があると思わないかい?まさかよりにもよって俺の手に落ちてしまうたった一人だ。ねえ、帝人くん、誰だと思う?」
いつも思うのだけど、この人は話が長い。
ひとつに話すことが長く、そして遠回しだった。
ようするに彼が恐らく恋だか愛だか憎しみだか、強い感情を誰かに持ってしまったことに気づかなかった。そしてそれを気づいてしまった。さあ、その誰かは誰だ?
こういうことだろう。
しかし、それは自分にとってどうでもいいことだった。
「えっと、・・波江さんですか?」
「もう太郎さんのおばか!このパターンで気づかないなんてわざとですかあ?天然さん?それとも、狙ってます?」
ひどく女々しい口調で折原臨也は口を尖らし、帝人の目を見る。
細められた目がどこか鈍く光っていた。愉悦に、焦燥に、恐らく狂気に染まっていた。
あ、そらせない。
それは強者に睨まれる弱者のように。
肉食動物に食べられる寸前の草食動物のように。
帝人の体が硬直する。
手に手が触れる。握られる。その手はひどく冷たい。
「俺は回りくどいことは好きじゃあないんだけど」
嘘だ。
「一言で言うなら、君を愛しているんだ」
どうしてこんな寒々しいものが愛だと言うのだろうか。
笑っているのに、背筋が冷える。なぜだろう。喉元を彼のナイフで引き裂かれる寸前のように思えてしまう。
「ねえ、帝人くん」
周りに人はいない。
池袋の裏路地。たまに吹く風だけがどことなく生温く気持ちが悪い。
「君は俺のことどう思うの?」
左手は後ろに隠していた。何を持っているのだろう。
見当違いなことを考えながら、帝人はいつのまにか溜まっていたねばっこい唾を嚥下する。鼓動が高鳴っていた。恋とか穏やかな理由からではない。本能の恐怖からだった。
その答えが少しでも俺の意に沿わない答えなら、なんていうか仕方ないよね。俺ががんばってがんばって、がんばって愛してもらうしかないよね。
そんな事を言って、月を背に情報屋は怯える帝人に、もう一度優しく、慈しみすら感じる微笑みを贈った。