千石+室町
「あれ、室町それキスマーク?」
室町の首筋を指しての喜多の一言に、その場にいた全部員は室町に注目した。
狼狽した様子の室町が慌てて首筋を手で覆うのに、今度はわっと色めきたつ。
「マジかよ!」
「すっげー、誰につけられたんだよ」
「俺らの知ってるやつ?」
「この学校?」
「いつつけられたんだ?やっぱ土日のどっちか!?」
「うわマジかよー!」
あっという間にまわりを取り囲まれた室町は、幾度か口を開き騒ぎをしずめようとした。しかしすっかり興奮した部員は、誰も室町の話など聞こうともしない。
そもそも半分以上がキスマークなどと本気にしてはいないのだろうが、それらしい位置にある首筋の痣を間近に見て、場のテンションはすっかり上がっている。嘘でもいいから刺激的な体験談の一つでも披露しなければおさまらないだろう雰囲気に、室町は諦めたように溜息をついた。
すっとそれを隠していた手を外し、陽に焼けた肌にほんの少し残る痣を衆目にさらした。
てんでに好き勝手なことを言っていた少年たちは、ぴたりと口を閉じて室町を見守る。
もしかして、とんだ爆弾発言でもしてくれるのか?
期待に満ちた沈黙に、しかし室町はもう一度溜息をつき、珍しくもこんな愉快な騒ぎに付き合わず涼しい顔で着替えている千石をくいと親指で指した。
「あの人の、悪ふざけ」
うんざりとした調子に、一瞬の間をおいて全員がいっせいに同情の笑みを浮かべる。
「そっかそっか」
「いや、俺は最初から信じてたよ」
「お前も大変だな」
「元気出せよ」
「負けんなよ」
数分前とはうってかわった憐れみに満ちたニヤニヤ笑いで、部員は室町の肩を叩いては部室を出て行く。
室町は憤懣やるかたない調子で「だから知られたくなかったのに」と低く呟き、「喜多も喜多だよ!そっとしとけよ!」と声を張り上げた。
喜多は悪びれた様子もなく、悪い悪いと片手だけで謝ると明るい笑い声を残し、軽やかにグラウンドへ走ってゆく。
ぐったりと疲れた顔で肩を落とす室町に、さりげなく着替えを遅らせて二人だけになった千石が声をかけた。
「や、室町くん。咄嗟に俺のせいにするなんて、いい後輩もったなぁ」
室町は、今の騒ぎで否応なく中断させられていた着替えを再開しながら返した。
「俺も、後輩にキスマークつけるなんて奇行を誰もがあっさり納得するような素行の先輩がいて幸せです」
「言うねえ。俺は昔の、何かあるとすぐ黙って人の誤解を深くしちゃう室町くんも好きだったよー」
今の君もいいけどね!と笑う千石に、着替えを終えた室町は溜息をついた。
俺、一日何回溜息ついてんでしょうね、と呆れたようにぼやく。
「誰が鍛えたんですか」
「えー、俺なの?俺は君のこと、可愛がった覚えしかないけどなあ」
「誰が可愛がったんですか」
「ああそっか。可愛がってくれてるのはその、キスマークつけた誰かさんだっけね」
指先でとんとんと自分の首筋をたたき、千石は挑発的に室町を見る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「知って、るんですか」
室町は少し体をひいて千石を見つめ、
「・・・こっちの人は、千石さんと違って口から先に生まれてませんから」
返すなり千石に背を向けドアへと向かう。
その腕をつかみぐいと引き寄せ、振り向いた室町の顔に自分の顔を触れさせるほどに近づけて千石は囁いた。
「そうだね。あいつは、手のほうが早いもんね」
あれ、俺今うまいこと言った?
わざとらしく笑う千石の手を払い落として、室町は表情を変えないまま言う。
「人のものになってからどうこう言うくらいなら、繋いでおくべきでしたよ。千石さん」
「あれぇ。室町くん、もしかして好かれてるのは自分のほうだとか思ってる?」
あからさまに嘲るような調子に、不愉快げに室町の眉が寄せられる。
千石はそれを面白そうに見た。
「ねえ、君、今どっちのこと言ったの」
「・・・どっちもです」
「・・・・・・」
千石は一瞬顔をひきつらせ、その動揺を繕うように口元を笑いの形に歪めた。
室町はまっすぐに千石を見つめる。
「・・・知ってたのは、お互いさまか」
「・・・そういうことになりますね」
何かを付け足そうとして、それ以上何も言わないままに、踵をかえした室町は今度こそドアに手をかける。それに追いすがるように、千石はらしくないほど弱い、悲鳴のような声を上げた。
「だって俺、一人は嫌だったんだ」
「だから二兎を追ったんですか?」
室町は振り向かず、ほだされもしなかった。
一人残された千石は、うつむいたままぶつぶつと何事か呟き自分を慰め、誰もいない部室で、誰に向けるでもない笑みを浮かべた。
「昔の人は、うまいこと言うね」
どうしても一人は嫌で、一度は二人とも手に入れられるほど近くにいた。
なのに。
「一兎も得ない猟師に、帰る家はありませんでした、ってオチ?」
あははは。
笑い声は、がらんとした部室に、響きもせずに消えた。