pocky game
あ、勘違いされそうなのでいちおう断っておきますが、日本さんといっしょにいる間じゅう漫画漬けの一日を送っているわけじゃありませんよ。他愛もないことをお話ししたり、お散歩したり、デートっぽいお出かけももちろんします。日本さん出不精だから、あんまりおうちから出たがらなくて、私もとくに異論はないので、結局日本さんのおうちでのんびりするのが多いんですけれど。
しあわせだっていうのは、漫画を読んだり語り合ったり、それだけじゃなくって、そのお相手が日本さんだから。
「日本さん」
「はい?」
「ほうじ茶、おいしいですね」
「恐れ入ります。甘いものには、甘くないお茶が合うと思うんです」
「ハイ!今度は私も、私の家のお茶持ってきますよ」
「本当ですか?楽しみにしていますね」
日本さんは微笑んで言ってくれました。それだけで私はもう夢見心地です。次に日本さんのところにおじゃまする前には、しっかりお茶の品定めをしなくては!
昔ながらのつくりの家だからでしょうか。日本さんのおうちは静かで、ふたりっきりって感じがして、それだけで舞い上がってしまいます。
べつに共通の話題で盛り上がれなくたっていいんです。お話しすらできなくていい。いっしょにいられれば、それで。
――なんて初々しいときめきにひたっていた時期が私にもありました。
今はそう、はっきり言います。物足りないんです。もちろん、日本さんとのんびりお茶を飲むのも楽しいんですよ!それはそれでいいんです!でも、それだけっていうのも、なんだか。ねえ。
恋人っぽいことをもう少し、してほしいじゃあないですか。急にラテンのみなさんみたいに情熱的になってほしいなんて言いません。
ただ、キスひとつでもほしいなあ、なんて。
お茶を飲んで、吐息にため息を忍ばせました。ほう、とついた息の理由、日本さんには気づいてもらえません。空気を読むのが特技の日本さんでも、こと色恋ごとに関してはその能力は発揮されないようです。慎ましいにもほどがあります。
キスしてください、なんて今さらねだることもできない。でも、いつまでも不満をくすぶらせていたって仕方がない。どうしたものかしらと、ちゃぶ台の上のお菓子に手をのばしたところで気づきました。
ベタだけれど、この手はどうだろう。
私たちが先ほどまで盛り上がっていた漫画談義のテーマは『漫画の中でありがちな展開』でした。ポッキーゲーム、が話題に上がった時にドキッとしました。ここへくるまでに、途中のコンビニで私が買い求めたお菓子の中にそれがあったから。
最近の日本さんのおうち訪問の時は、堅苦しいおみやげじゃなくて、もっと気軽につまめるお菓子を用意しています。今朝も駅前のコンビニに寄って、ポッキーなんかのチョコレート菓子を買っていくと日本さんによろこんでもらえました。自分ではわざわざ買いにはいかないけれど、たまに食べたくなるんですよねえ、って。
「あ、すみません」
「こちらこそ!」
のばした手がポッキーの箱の上でぶつかりそうになって、ふたりして謝り合って。日本さんが中の銀色の袋からポッキーをつまみ出しました。あと、一本。
「台湾さん、食べますか?」
「イイエ、日本さん食べてください」
「私はもう結構ですから」
最後の一本を譲り合いながら、今だ、っていうか今しかないじゃん、と思いました。
「に、日本さんっ」――ああ情けない、声が緊張してひっくり返りそうになるなんて!
「ポッキーゲーム、やってみませんか?もう一本しかないですから」
「はい?」
指につまんだ細長いお菓子に視線を落として、ああそういえばさっきそんな話しましたね、と日本さんはうなずきました。いやそんな、しみじみと『納得した』って顔をされましても。
おそるおそる日本さんの様子をうかがうと、日本さんは迷ったみたいに視線をさまよわせ、照れくさそうな顔をします。そして。
「おもしろそうですね。やって、みましょうか」
もっとさりげなく誘うべきだったんだ。実行してみて分かりました。かるーいノリでチュッってしちゃうものなのに、あらたまってしまうと、すごくはずかしい。鎮まれ私の心臓!
「では失礼します」と日本さん。そっとプリッツの部分を口にくわえました。手を添えて差し出されたお菓子の先に、私も口をつけます。そっと伏せられた黒目に、お菓子を挟んでいる唇にドキドキして見ていられなくて、ぎゅっと目をつぶりました。
ぽり、とチョコのかかっている部分をちょっぴり食べて。食べて。ああもうそろそろかなぁって時にうっかり目を開けてしまって。
唇は見えない、わずかな視界の中で、日本さんの目が微笑んでいたものだから。
「!!」
びっくりしてしまって、私はぽきん、と途中でポッキーを折って、顔を離してしまいました。口元を手で押さえてもぐもぐしていると、日本さんは落ち着いた様子で、唇の体温で溶けたチョコを指先でぬぐっています。ああ日本さん、普段がそういうイメージじゃないだけに、いろっぽすぎますその仕草!
かああっ、と熱くなっていく私の頬。ひょっとして日本さん、ずっと目を開けていたの?私がポッキーのもう片方をくわえた時から?
日本さんは「気づかれてしまいましたか」と、今になって空気読みスキルを発動してくれました。なんで!今!
そしてあまつさえ、いたずらっぽく笑って。――ええと、この、慣れた空気をにおわせるこのひとは、誰なんだろう。
「唇が触れるまで、もうちょっとでしたのにね」
「え、えっ?!」
「すみません台湾さん、女性に気を遣わせてしまうなんて、男子にあるまじき失態ですよね」
神妙な顔になって、日本さんは小さく頭を下げました。
ああ、妙にまじめで律儀ないつもの日本さんでした。
「私みたいなじいさんが、どこまでこういうことをしてもいいのかと、分かりかねていまして」
「じいさん言わないでくださいよ!それじゃあ老師はどうなっちゃうですか!」
「あの方はもはや仙人なんですから規格外でしょう」
ああもうなんてことだろう。
にぶいはにぶいでも、見当違いで方向違いににぶいひとでした日本さんは!気を遣ってくれるせいで、私の不満に気づいていないだなんて!
ヤケを起こしたみたいにお茶を一気に飲み干して、私は日本さんに詰め寄りました。
「日本さんッ!」
「は、はい?」
「なんの心配してますか!私が嫌がる、そう思ってる?逆ですよ!」
「台湾さん……」
昔の子どもの頃、かんしゃくを起こした私をなだめるみたいに、腕に抱いてよしよしと撫でられました。あっまだ子ども扱いされてる?!――とっさに思ったけれど、違うみたいです。
「キス、してもいいんですか?」
こくり、声もなくうなずくと、日本さんは安堵したように肩をゆすって、くすくすと笑いました。
「最初からこう言えばよかったんですね。ポッキーを食べながらキスするなんて、風情に欠けますしね」
お別れぎわのキスは、なつかしい異国のお茶の味がしました。
End.
作品名:pocky game 作家名:美緒