世界を敵に回しても
初めてセックスをした翌日というものは、甘い雰囲気や、どこか照れくさい空気、そんなものが漂っているものかと思っていた。少なくともアルフレッドは、目を開けたら一番にイヴァンにおはようのキスをして、朝ごはんを作ってあげたりして、思いっきり大事にしてあげようと思っていたのだ。
もちろん、ベッドの中でいちゃいちゃしながら夜明けのコーヒーを飲む、なんて甘い考えをイヴァン相手に持っていた訳ではない。
だからと言ってここまで色気のない朝を迎えるとも思っていなかった。
「あぁ、起きたんだ。おはよう」
「……君、一体何してるんだい?」
「何って、朝ご飯食べてるんだけど。……ねぇ君いつまでそんな恰好でいるつもり?」
眠りに落ちた時には確かに腕の中に閉じ込めておいたはずのイヴァンが、目を覚ました時には、影も形も温もりすら感じられないほど綺麗に消えていたので、アルフレッドはそこらにあったズボンを適当に履いて、慌ててベッドから飛び出してきたのだ。
そうしてやっと見つけたイヴァンは、きちんと服を着て、一人朝食を食べているではないか。おまけにあの長いマフラーまできちんと巻いている。
まるで昨夜のことなど何も無かったかのような態度だ。
「ひどいじゃないか!何一人で朝ごはん食べてるんだい!?起こしてくれたらいいのに!」
「僕に君を起こす義務なんてないよ。僕は好きな時に起きて、好きな時に朝食をとる。それはどんな時だって変わらないし、変えるつもりもない」
「こんな記念すべき朝でもかい?」
「もちろん」
イヴァンは眉ひとつ動かさずそんなつれないことを言う。
全く、ベッド中での彼はなかなかにかわいかったというのに。子供のように泣きじゃくりながら、それでも抵抗せずに身を任せ、甘い声も聞かせてくれた。なのに今朝はまるで魔法が解けたかのように、以前のイヴァンに逆戻りだ。思わず深いため息が出る。まぁそんな簡単な男じゃないのはわかっていた事だけれど。
「シャワー浴びてくるよ」
時計を見れば、針はもう9時半を指している。12時から昼食を兼ねた懇親会と言う名の各国との会議が始まる。のんびりしている暇は無い。朝をゆっくりできないような日にセックスなんてするもんじゃないかもしれないな、と思う。昨日はなんだかお互い切羽詰まっていて、なし崩しにこんなことになってしまったが、次からはもっと気をつけよう、と誓いながら、アルフレッドはバスルームへと急いだ。
「アルくん、僕もうそろそろ出るから」
「What!?なんだって?」
シャワーから出てきたた途端、イヴァンからそう声がかかった。
「もう出るって言ったんだよ。お昼会議でしょ」
「そんなに急がなくてもいいだろ、まだ10時にもなってないじゃないか。すぐ準備するから待っててくれよ、一緒に行こう」
「何言ってるの、そんなの嫌に決まってるでしょ」
誘いは間髪いれずに断られた。本当に嫌そうな表情付きだ。
「世界で一番憎しみ合っている国同士が、仲良く会議に出席なんておかしいと思わない?みんなに怪しまれるよ。勘の良いフランシス君なんかには、何か気付かれるかもしれない」
「いいじゃないか、別に気付かれたって。僕と君が愛し合ってるのは事実だ。別にやましいことなんて何もないだろう。何なら今日の会議で発表してしまってもいいよ」
明るくそう宣言したアルフレッドに、イヴァンは一瞬目を瞠る。
しかし、次の瞬間にはイヴァンの表情は、いつも通りの張り付いた笑みに変わる。けれど目の奥は決して笑ってはいない。
「そんなことをしたら君はナターリヤに殺されるし、僕はアーサー君に殺される。彼らだけじゃない、世界中が僕たちが共にいることを望まない」
イヴァンはくすくすと笑いながら何でもないように言う。
けれど、イヴァンが喉元のマフラーを指先が白くなるほど強く握っていることにアルフレッドは気付いた。
「僕や君の上司や国民だって、僕たちの関係を否定する。そうなれば僕たちは別れるしかない。……昨夜、僕がどんな思いで君に抱かれたのか、君は何もわかってない」
もう僕は将来何があっても、君を憎めない。忘れられない。
かすれた声が思いつめたようにそう言った。紫紺の瞳は、水が張ったように潤んでいる。
アルフレッドは、泣き笑いのような表情になっているイヴァンに近付くと、マフラーを強く握る彼の手を握った。
「やだ、何するの?」
戸惑うイヴァンに答えず、マフラーを外し、現れた白い首筋に顔をうずめる。
「いたっ」
とたん喉元に走った痛みにイヴァンは思わず身体をよじる。
「ちょっと、何したの」
「キスマークだよ。うん、綺麗についてる」
悪びれずにんまりと笑いながら答えるアルフレッドに、イヴァンはカッと頭に血が上るのを感じた。
「君、僕の話聞いてた?」
「もちろん聞いてたさ。でもねぇ、あんまり俺を舐めないでほしいんだけどな、イヴァン」
イヴァンを見つめるアルフレッドの瞳は、驚くほど真剣で、まるで青い焔のようだ。
「俺だって何の覚悟も無しに君を抱いたわけじゃない。でも確かに世界中に反対されるかもなんて事までは考えてなかったよ。まぁ、はっきり言ってイヴァンはネガティブ過ぎるところがあるから、ほんとにそうなるのかどうかは多大な疑問が残るけどね。……でも確かに君が言うとおり、いつか上司や国民に反対されて、俺と君は別れる時が来るかもしれない」
アルフレッドのその言葉に、イヴァンの瞳は不安定に揺れた気がした。
「でもね、イヴァン。それでも多分俺は君が好きだよ。世界が敵に回っても、きっとずっと好きだ」
そう言って頬をなでると、イヴァンはぽろりと一粒だけ涙をこぼした。
「君がそうしたいなら俺たちの関係は秘密にするよ。会議も別々に行く。向こうで会っても今まで通り仲の悪いふりをする。それでも君は俺のところに帰ってきてくれるだろう?」
唇が触れそうなほど顔を近づけて微笑むアルフレッドを見て、イヴァンは呆れたようにため息をついた。
「全く、君のその自信は一体どこから来るんだろうね。ほんとうらやましいよ」
「ねぇイヴァン、行ってきますっていってよ」
甘い声でねだるとくしゃりと苦笑された。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
互いの頬に軽くキスをすると、イヴァンは大国としてふさわしい表情を取りつくろって、部屋から出て行った。
おそらくお昼の会議では、お互い昨夜何も無かったかのようにお振舞うのだろう。あの時の熱も、衝動も嘘のような顔をして。そして、その行動にイヴァンは、そしてアルフレッドも少なからず傷つくことになるだろう。
それでもイヴァンもアルフレッドも恋することを止められないのだ。世界を欺き、誰からも祝福なんてされず、自分自身も傷つけて、それでも。