神の従順たる僕
掛けられた声はどこまでも無機質だった。音は綺麗で澄んでいるが、感情の起伏は欠片も見られない。石畳の上に転がっていたマリアはぱちりと目を瞬かせ、仰向けになって自分を覗きこむ騎士の顔を見返した。金を帯びた瞳とかち合う。やはり感情は読み取れなかったが、言葉の内容はマリアを労わるものだ。マリアはケセケセと笑う。
「あったりまえだろ! 俺様を誰だと思ってんだよ」
「ドイツ騎士団」
「その通りだ! 我等に神の恩恵を、異教徒に神の鉄槌を!」
力強く頷き、マリアは拳を突き上げる。その姿は勇ましいが、ヨハネは思わず眉を顰めていた。ぐるぐると、言葉に出来ない感情が渦巻く。元々、感情を言葉で表すことが苦手なのは否めないが、それだけではない何かがあった。ヨハネは石畳、マリアの頭元へと両膝をつく。腰に帯びていた剣ががしゃりと派手な音をたてた。
その唐突な行動に驚いたのはマリアだ。きょとりと赤い瞳が丸められる。ヨハネはそんなマリアの上に突き出されている手を取った。細く小さく、頼りない手だと思う。この手で身の丈とそう違わない剣を持ち、異教徒を相手に戦っているのだ。ヨハネ自身、周りからすればまだ青年には届かない見た目だが、それでもこの幼い騎士よりは少しばかり長い年月を生きてきている。振るった剣、切り殺してきた異教徒の数。そんなものはもう、数えることにも疲れていた。けれど、この幼い騎士は。
「ヨハネ?」
「我等は、騎士だものな」
ぽつりと静かに呟かれた言葉。珍しくもそこには微かな感情が籠っていて、マリアは驚きに目を見張る。
「戦うことは、生きることだ。異教の民を屠ることは、我等に課せられた使命だ」
「それは間違っちゃねえけど、」
「どうした」
マリアは、見上げたまま眉間に皺を寄せた。逆さまに見えるヨハネの整った顔はやはり表情を宿してはいなかったが、紡がれる言葉には先程から少しの起伏が窺える。どこか、沈んでいるようにマリアには思えた。触れたままの手は、お互いに冷たい。尋ねたきり、ヨハネは口を開かなかった。マリアはぐうと唸る。言ってしまっていいものかどうか、迷ったからだ。口にすることで彼を傷付けはしないかと思ったからだ。この、神に従順な騎士を。
「あー、いや。なんでもない」
「ん?」
「なんでもないって!」
「……そうか」
思わず声を荒げれば、ヨハネは一瞬だけきょとりと目を丸めた後に頷いた。そうあっさり納得されても逆に微妙な気持になるのだが、否定した手前言える筈もない。ああ、愛しき兄弟よ。
「俺達は騎士だからな! 剣を持って戦うのが宿命だ!」
「ああ、そうだとも」
090615
「あー、グランド・マスターは一々説教が長いんだよなあ。って、おおう! お前ら何してんだ?」
カツカツと石畳を踏み鳴らしながら愚痴を零していたソロモンは、見慣れた二つの人影を見つけて素っ頓狂な声を出した。奇妙な光景だと素直にそう思う。突拍子もないことを仕出かす二人だとは思っていたし身にも染みていたが、今日も今日とておかしい。一体どういう状況だというのか。
近付けば、きょとりと見上げられる。ソロモンは隠すことなく盛大に溜息を吐いて見せた。お前ら、そんなところで転がっていたら目立つだろう。
「そうか? 目立つか?」
「目立つ」
何せ、見た目が派手な二人だ。黙って歩いているだけでも人目を引くと言うのに、今の状況では注目してくれと言わんばかりではないか。
「ほら、起き上がれ。俺は腹が減ってるんだ」
そう言って二人へと手を差し出せば、迷うことなく握られる。剣を握ることに慣れた手は、それでもお互いにとっては温かいと思えた。実際は、冷え切っているのだけれど。
先に勢いよく飛び起きたマリアが、ぐうぐうと鳴る自分の腹に気付いた。そういえばと、結構長い時間腹にまともなものを入れていないことに気付いたのだ。
「俺も腹が減った!」
ケセケセとマリアが笑えば、緩慢な動作で立ち上がり、石畳の上に落としていた剣を取り上げていたヨハネもぽつりと呟く。
「私も、かな」
「だろう。いい加減食べないと、剣も握れなくなる」
「そういうわけにはいかねえもんな!」
繋いだ手をそのままに、三人は歩きだした。
(神の為に戦うことは誇りだ。けれど、それでも、それでも。死んでほしくないと願う気持も、確かにあるのだ)