それでいい
黒も白も要らない。灰色で生涯混じ合わさっていれば、それでいい。それが濁った色であればあるほど、誰かに染められることもないからたやすく安心できた。離れる、と考えてしまうと体が震えた。そんなことはないのだ、と本能で分かっていても臆病者は怯えてしまうから、常日頃から不安が絶えることはない。けれど、もしも。誰かに掻っ攫われてしまったらどうしよう。どうすればいいだろう。
こんな時に自分の心底いらないとすら思う力は役に立たない。
これだから煩わしい。もっと実用的なものであれば、よかったのに。
唇を噛み締めてみると、目の前の大事な半身が慌てたようにこちらを見ていた。
「静雄、駄目だよ。血が出る」
「いい」
そっと触れる自分とは違う指を噛めば、血はごく簡単に出る。口内に広がる鉄の味を舌で舐め上げて、静雄は同じ片割れの口元に自分の指を持っていった。赤いその味は無機質で甘くも苦くもない。同じものが流れる体から体へ循環している。それだけだ。
「帝人」
そう言うと分かったように開く唇の中へ指を入れる。恐らく帝人も噛みきる勢いで噛んでいるのだろうが、そっと引いて見ると噛んだ跡、多少の内出血だけで済んでいる。帝人はその指を自分と同じように丹念に舐め上げた。痛覚もあまり痛みを訴えず、それどころか背筋がぞくりとするような背徳感と恍惚感がある。恐ろしいとは思わず、それを静雄は当たり前と受け止めた。
「静雄の指は硬いね」
「お前はいつまでたっても柔らかい」
「もう少し筋肉つけるべきかな…」
「やめろ泣くぞ」
「僕だって男だから。静雄がやってる筋トレメニュー、僕もやろうかな」
「やめろ犯すぞ」
「それやめて洒落にならないやめて」
いっそ帝人も同じようにこの暴力の塊であれたら、と考えたことはもう幾度もある。どうせ双子ならば持つ能力を一緒にしてくれてもいいのではないか。理不尽だと何回も帝人に話した。どうして俺はこんなんなんだ、どうしてお前と一緒じゃないんだ。そう泣き喚く静雄に双子の弟は不思議そうに問いかける。どうして僕はこんなのだろう。どうして静雄と一緒じゃないんだろうね。ふたりとも明確な答えは持っていなかった。でも静雄も帝人も本当は分かっている。
「帝人」
「なに、静雄」
「さむい」
「…あー…はいはい」
「はいは一回だ」
「静雄は寂しがり屋だね」
「うるせぇ」
部屋のベッドに横たわりながら、静雄が帝人を呼ぶ。互いが互いを求めて仕方ないのはきっと異質だ。二人とも違うから、それでいて双子という本能の底で繋がっていたから一緒にいることができた。姿形、似ている部分の方が少ないから家族と言われることは少ない。別にソレはふたりにとって気にすることではなかったけれど。
世間体に見ればおかしいというのを帝人は知っている。でも誰より大事な存在がいることは素晴らしいと理解しているから、別に今があればどうでもよかった。
逆に静雄は何も知らない。周囲の目など気にかけない。血の繋がりを知った上で、静雄は親愛も恋慕も執着すら越えて、帝人ひとりにただ自分を捧げ、帝人だけを本当の意味で受け入れている。それは忠誠的な依存と言ってもいい。しかもそれでいて独占欲がまた強い。たまに帝人はそれが困りものだった。
呼んだ帝人を壊さぬように抱き締めて、静雄は安心したように息をする。帝人が染色の所為できしんだ髪を優しく梳けば、気持ちよさそうに静雄が寄り添ってくる。帝人は静雄を理解した上で、自分の今後を考えた上で、目を伏せて思った。
いつしか僕らが別れる日が来たとしたら。
きっとまず最初に僕は静雄に食べられてしまうんだろう。
お互いの手が離れる時が必ず来る。
その時、静雄ならばこうするだろうという事を考えて、あまりにすとんと当たり前に受け止められてしまったから、帝人は少しだけ苦笑いをもらした。やっぱり自分もおかしいのだ。そのおかしさが愛おしさを比例するんだから、本当どうしようもないなあ。苦笑が聞こえたらしい静雄が不思議そうに帝人を見る。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「そうか」
「そうだよ」
こういう時の帝人は本当になんでもない。だから静雄はもっと、と縋るように頭を帝人の肩に押しつけて、鎖骨を甘噛みした。先程思っていたことはよく考えればすごく簡単だった。誰かに掻っ攫われる前に、自分が。
「帝人」
「もう、なあに」
「…いいや、なんでもねぇよ」
きっと、帝人はそんな時でも笑って許してくれるだろう。
自分を受け入れて、静雄、と甘い声で呼んでくれる。
くすぐったそうにする片割れに、静雄は低く笑う。そんな時が来ようが来まいが、自分は生涯帝人と一緒なのだ。帝人もまたその笑みの意味を分かっている。だから、仕方ないなあ、と肩をすくめて柔らかく笑っていた。