遺水夜行
帰宅して一番最初に思ったのがこれだ。
全くもって理解できない、奇妙奇天烈なことが今まさに目の前で起こっているのだ。いや、正確にいえば起こってしまった後なんだろうけど。
とりあえず僕の理解の範囲内を軽く吹っ飛ばしてくれたこの現状に、思考回路は一時停止ボタンを押されたまましばらく帰ってこれなかった。
「………あの。」
「どう?今回は俺、頑張ってみたんだけど」
「甘楽さん、これ…」
「臨也!臨也だよ帝人君。二人のときはそう呼んでくれるって約束したでしょ!」
僕より頭一つ分ぐらいは背の高い大人の男が、腕組みをしたまま、ほっぺを膨らまして全力で拗ねようとしている。
顔の造形だけは超絶整っているだけに、道行く女性が見たら穴が開くほど魅入られるか、連れのものに言いつけて牛車かなんかに押しこまれて誘拐でもかまされそうである。(かまされる魂ではないが)そのぐらい世間的にいえば“いとうつくし”ってことなのだろうけど、あいにくと僕はこの妖の笑顔の裏の腹黒さとか、平気で人を呪い殺す禍々しい酷い毒気をはらんだ力とかを知ってしまっている。
だけに思うことは――――――めんどくさい。
「帝人君、口に出しちゃいけないことが顔から滲み出てこようとしてるけど大丈夫?」
――――ゴホン。
「じゃあ臨也さん、これどういうことですか?」
話しながらも頬が引きつってしまう。
「敷地と屋敷の広さが朝と一致してないんですけど…」
「あ!気づいた!?」
気づかないはずがないです…
自慢じゃないがうちの屋敷はボロイ。それはそれは夏暑く、冬死ぬほど寒い。雨が降ればその恵みを家の中でいただけるほど気候天候をすさまじく感受されられる屋敷なのだ。
広さだって隣の貴族の庭程度…言いすぎた。池程度のものなのに!
(両隣の家を足したよりもデカクなってるんですけど!!)
「空間を歪めてみました!」
「ゆがめ…」
お隣さんゴメンナサイ。
後で菓子折りでも持って謝りに行こう。何て謝ろうかな…『うちの妖のせいで屋敷をぶった切っちゃってごめんなさい』――は?っていわれる気がする。じゃあ、『うちの妖のせいでうちの屋敷が不法侵入しちゃってごめんなさい』――頭おかしくなったと思われるだろうか。
「そのうえ世間体を気にする帝人君のために、外から見たら今までどおりのボロ屋のまま!」
あぁ、じゃあ何も心配することないじゃん!…ってんな訳あるか!!!
確かに、門の外から見れば今までどおりの小さい小さいボロ家のままだ。
でも門をくぐると、そこに楓や松、桜や木蓮などの大樹が茂る広大な庭が広がり、細い水路もひかれている。庭の奥にはこれまた大層立派な屋敷が巨大な屋根を被って堂々と鎮座していた。
まるでどこぞの由緒正しい貴族の御殿のようだ。(いや、僕だって由緒正しい貴族の端くれなんだけど…)
空間を歪めるってどういう原理なんだろう。
明らかに、もう一度言おう、明らかに隣の屋敷まで食込んでると思うんですけど。
食込まれた方の人たちはどうしてるんだろう?
強制的に狭くされられちゃったのだろうか。
それとも異空間で共存みたいなことになるのだろうか。
聞いてみても臨也さんは『大丈夫、大丈夫!』って相手にしてくれない。
臨也さんほどの大妖なら造作もないようなことなんだろうけど…。
あ、何だかちょっと悔しくなってきた。
「結界を張ったから、気に喰わないヤツは入ってこれないしね」
特にシズちゃんとかシズちゃんとかシズちゃんとか…
相変わらず腕組みしたまま、今度は忌々しげに眉間にしわを寄せている。
シズちゃん=平和島家のご嫡男。平和島静雄殿のこと。
その怪力ゆえに、人でありながら鬼を喰らい、鬼の力を宿した化け物と噂され恐れられている御仁だ。ソリの合わない臨也さんとも何度か殺り合っているが、人ながらに臨也さんを撃退したりなんかも出来ちゃうすごい力の持ち主だ。
以前、とのい宿直が一緒になったときに知り合い、それから何故か目をかけてくれる。
化け物だ何だといわれても、本人は気にすることもなく(キレたら怖いけど)、意味もなく暴力を振るうことのない、とても優しい人なのだ。
それに僕の懐事情も知っているだけに、よくご飯に誘ってくれたり色々と援助をしてくれる。平和島家にお邪魔したこともあり、弟君の幽殿とも知り合いになれた。
一人っ子の自分に兄上が出来たようで凄く嬉しかったのだ。
…のだが、問題が一つ。
臨也さんと静雄殿の、いや平和島御兄弟の仲がすこぶる悪い。
バッタリ会おうものなら、道の往来に台車や牛車、牛に馬まで何でも飛び交う。
壊れたものは全て平和島家が弁償してくれるにしても、その持ち主たちにとってはいい迷惑な話だろう。臨也さんもわざと煽るような事を言うし、幽殿も空きあらば臨也さんを仕留めようと腰の太刀に手をかけている始末だ。
ゆえに、以前のように頻繁に行き来するような事が無くなってしまった事が少しだけ寂しい。
「僕、前のままでも大丈夫でしたよ?」
「とんでもない!あんな雨漏りし放題、庭荒れ放題、壁の間から覗き見し放題の屋敷になんて帝人君を住まわせるわけにはいきません!」
「でも…」
「帝人君は無防備すぎるよ。聞けば盗賊に入られたこともあるらしいじゃない?」
うぅ…。確かに怖かったけど…。
盗賊たちも入ったはいいが、あまりの何もなさに呆れて帰っていたため、被害は何もなかった。それを知った静雄殿は怒り狂ってたけど…。
「これからは全部俺に守らせてよ…ね?」
ぐぐっと腰をかがめて顔を覗き込まれる。
まるで子供に言い聞かせるような優しい声。
綺麗な顔が凄く近くて思わず顔を赤くして逸らせてしまう。
「よっ…よろしくおねがいします」
何ていえば分からずに、とっさに出た声は変に上ずってしまった。
「じゃ、中も案内するね」
さぁ行こう!
手を引かれて、広い庭の中を屋敷に向かって二人で歩いていく。
妖のはずの臨也さんの手が大きくて、そして暖かくて、ちょとだけ嬉しかった。