恋をしている
ワコが言った。
今年もこの風がきたと。
暖かく強い意志を持って。
前をゆく紅い髪を、風は悪戯に崩した。
ワコは御祓をしている頃だろう。
スガタはこの時間、一人で海辺を歩くのが好きだった。
波間にワコの歌声が、かすかに聞こえる気がするから。
今でもスガタは心からワコを愛しいと思う。
何より一番大切な存在に変わりはない。
けれど最近は、御祓の時間にタクトと過ごす。
波の音に耳を傾けなくても、容易にワコを想える。
タクト曰く、「小学生が友達の習い事が終わるの待ってる気分」
スガタは思っていた。
タクトの本質的な部分に惹かれている。
容姿、空気、性格、思想。根本から、
声や髪の流れ方、瞳の輝きや歩き方、動作のひとつひとつ。こまかいディテールまで。
ツナシタクトに惹かれている。
恋っていうのは、それだけで充分な筈だ。
でもスガタはそれだけじゃないことも、しっかり受け止めていた。
タクトを取り巻く後天的な部分。
タクトがワコを好きなこと。
ワコがタクトを好きなこと。
多くの人が彼に惹かれずにいられないこと。
彼が銀河美少年であること。
全てを含めて、スガタはタクトに恋をしていた。
15年間。
ワコに抱いていた愛情が、恋ではなかったと教えてくれた。
タクトに抱く感情は、もっとエゴイスティックだ。
繊細で不格好で、脆くて強い。
愛情というより、情熱。
まっすぐに注がれるモノとは違う、
自分の思いだけなら揺るぎない。
けれどコレは、相手の気持ちを求めてしまう。
タクトへの恋に目覚めるほど、貪欲に気持ちを求めている。
タクトの髪をなでる、
春風にすら嫉妬する。
「・・・・どうかした?」
スガタの腕が、タクトへと伸ばされていた。
白く長い指を、たてがみのような紅い髪に絡めて。
手のひらでその感触を優しく包む。
「・・・・柔らかい。」
「・・っへ?」
ゴミがついてる。と、スガタは顔色一つ変えず言えるつもりだった。
しかしその髪型に、堅くてさらさらした感触を想像していたスガタは、あまりの軽さと柔らかさに純粋な感想をこぼしてしまっていた。
振り向いたタクトが、いつものおどけた含み笑いで言った。
「剛毛に見えた?」
タクトの髪を絡めた右手を、下ろすことができない。
腕を伸ばした距離にタクトがいた。
夕日が紅い髪の表面を橙色に輝かせている。
スタガの瞳をまっすぐ見つめて、何気ない表情を見せる。
指と手のひらと手首にまで、タクトの髪がそよいで撫でられるようだった。
今どんな顔をしているだろう。
恐ろしい顔じゃないだろうか。
右手はいつの間にかタクトの左耳を包み込んだ。
小さく息を飲むのが分かった。
スガタの手の感触にタクトが少し身じろいだ。
ぎゅっと目をつむって、肩を縮め。
困惑してスガタを見つめ返す。
その目の色が、少し怯えてスガタには見えた。
「ああ。」
風を含ませるように掻きあげて、大げさにタクトから手を離す。
「剛毛に見えたよ。」
おきまりの笑顔で繕って、タクトの先に歩みを進めた。
黄金の雲の向こうに、深い藍の空が訪れている。
空が広いな、とスガタは思った。
タクトが目の前にいると、その広さには気付かない。
視野が狭くなる恋っていうのは、良いもんじゃない。
そんな風に思った。
御祓の時間が終わる。
夜になれば散り散りに、二人は帰路につくのみ。
スガタの中でどんな感情が渦巻いた所で、タクトにそれを明かすことはできないのだから。
たとえばワコとタクトが添い遂げてもいいかもしれない。
大切な二人が笑顔でいて、自分はずっと側に居られるから。
訪れる夜にスガタは思った。
「ドキドキした。」
その声の響きに鳥肌が立った。
意味を把握するよりも先のことだ。
「え?」
振り向くと、先ほどと変わらない位置でこちらを向いている。
タクトは消化しきれない気持ちを必死に押さえ込むように、上目使いでスガタを睨みつけている。
「今、すっごいドキドキした。」
キュっと口を結んで、言葉にすると恥ずかしそうに目を逸らした。
「あっ、えっ?」
スガタの心臓が突然激しく脈を打ち出した。
胸の高鳴りに動揺して、顔がカーっと赤らむのが分かった。
自分らしくない狼狽ぶりに、スガタは言葉をつまらせた。
しかしタクトはスガタを直視できないらしく、視線をそらしたまま。
「あーあっあぶないあぶない!スガタに落とされるとこだったよ!」
今度はタクトがスガタの先に歩み出す。
「ほんと、罪な男だよね!僕が女子だったら一週間は眠れないよ。」
そう茶化して笑うのが精一杯というように。
そしてもう一方も、茶化されたことにほっとして。
「・・っタクトを落とせたら、僕の方こそ女子から口を聞いてもらえないよ。」
二人は大げさに笑い合って、肩を並べて歩いた。
さっきよりも離れすぎず、けれど近くない距離で、
さっきよりもずっと早い速度で、
スガタと目が合うと、何度もタクトの視線が泳いだ。
なんだか気まずくて、体の緊張が解けなかった。
いつもの心地いい空気には戻らなかったが、
スガタは心が満たされるのに気付いていた。
タクトに抱く感情は、もっとエゴイスティックだ。
恋が良いモノであれ、悪いモノであれ、
それは初めて知る感情ばかり。
触れる、嘯く、狼狽える、
恋をしている。
手探りで。