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失くせない場所

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妖し狐は人間に興味があったし、自分が投じる些細なもので右往左往する様は愚かしく可笑しくて娯楽の一つとしていたけれど、そうすると唯一である竜に窘められるし、いき過ぎたら怒られたりするので、人間で遊ぶのは程々にしていた。
しかしそれも唯一が在るからこその話で。
狗神は人間に迫害されて生きてきたから、良い印象どころか悪いものばかりであったけれど、一目見て相容れない存在となった妖し狐よりはマシだし、元々暴力を好まない狗神は進んで人間を傷つけようとは思わなかった。
しかしそれも唯一と天秤に掛けたら別と言う話で。
妖し狐は毒々しい血色の眸を爛々と輝かせて、凶悪に笑った。
「ああ、人間どもめ、どうしてくれようか」
狗神は金の鬣をざわめかせ、牙を剥いた。
「引き裂いてしまおうか、いっそ喰らうてしまおうか」
禍々しい呪詛を、凍えるような殺意を、森の奥深くで滴らせ、妖し狐と狗神は駆けていく。


自分たちの元から唯一を奪った人間に報復をするために。
そして、唯一を取り戻すために。



相容れないふたりの妖しは、共に駆けた。











蒼い眸を何度か瞬かせて、帝人は目覚めた。
気だるさの残る身体を叱咤して起き上った帝人はぐるりとまわりを見渡した。
何かが書かれた――おそらく己を封じる呪だろう――札が隙間なく貼られた質素な空間に囚われて、早数日。
しかし帝人の脳内は囚われたことへの恐怖や焦りよりも、引き離された養い子達のことでいっぱいだった。
(心配・・・というか怒ってるだろうなぁ。臨也さんは冷静そうに見えて意外と激情家だし、静雄さんは絶対キレてる)
住処を破壊してなきゃいいけどと帝人はため息を吐く。
そんな帝人の意識は近づいてくる気配にすら欠片も動かなかった。
「ほぉ、これが噂の竜神か」
「見目はほぼ普通の人と変わりはしませんが、あの眸と耳の脇に生えてる角が何よりの証拠です」
無駄に質だけが良い着物を着けた男に媚び諂うように説明する痩せた男。
その痩せた男こそが、帝人をここに捕らえた人間だった。
じろじろとまるで身体を這う視線すら帝人は一瞥しない。
する必要などないのだ。
「ふん、これならまぁ見世物で稼ぐことはできるだろう」
「へ、へい」
どこまでも尊大な人間。
帝人はそこで漸く意識を向けた。
蒼い眸が愚かしい人間共を見据える。
「――ひとつ、疑問があります」
喋った、と驚愕する気配などどうでもいい。
帝人は眸に力を込め、男たちの意識を強制的に傾けさせる。
己の疑問に応えさせるために。
「これは貴方個人の総意ですか?それとも、この村の総意でしょうか」
「む、村の」
「――――そうですか」
なれば、
帝人は瞼を伏せた。


「この村が貴方がたの愚行により滅びても致し方が無いということですね」


その言葉を合図とするかのように、轟音と悲鳴が彼らの空間に轟いた。


ば、化け物!
ひいいッ、お許しをー!!
私らは何もしておりませぬ!悪いのはあの男で!


「そんなのどうでもいいことだよ。君らへの罰は俺たちから帝人君を奪った、それだけで充分だ」
「八つ裂きにしてやる」


飛び交う罵声と悲鳴の中、不思議と透る養い子達の声に帝人は苦笑する。
その声から発せられる怒りと殺意の中で、焦燥を感じ取れるのは帝人だけだ。
目の前の人間は慈愛の笑みを浮かべる帝人を恐ろしいもののように見、そして「貴様、何かしたのか?!」と攻め立てる。
「何も」
帝人は淡々と応えた。
「あえて言うのであれば、貴方がたが犯した愚行への結果ということでしょうか」
「何を・・・!」
「境界を間違えるなということですよ」
ふいに帝人が手を挙げた。
すると今まで密閉されていた空間が、音を経て崩壊していく。
青ざめ、もう立つことすらできなくなった人間を見降ろし、帝人は厳かに告げた。
「恨むのであれば、私を捕らえようと考えついた己を恨みなさい」
そして帝人はもう人間のことなど忘れたかのように、あっさりと身を翻し、その場を去った。


「帝人君!」
「帝人!」


爪を砥ぎ、牙を剝いていた養い子は帝人の姿を認めた途端、その姿を一瞬にして消し帝人の元へと駈け寄りその華奢な身体に抱きついた。
もう自分より遥かに大きな身体二つにぎゅうぎゅうに抱きしめられた帝人は、それでも苦しさを訴えず、大きな背中に掌を滑らせた。
「心配掛けてすみません」
「本当だよ!ああもう普段はしっかりしてるくせにたまに抜けてるからこんなことになるんだからね!」
「・・・・良かった」
言葉多めに帝人を責めたてつつも帝人を抱きしめる臨也と、言葉少なにしかし心底安堵したような音を響かせ抱きしめてくる静雄。
対照的だが、結局本音は同じふたりに帝人は苦笑しながらも、もう一度「ごめんなさい」と謝った。
「しかし、派手にやりましたねぇ」
一面荒野だ。
数分前までここに人が住む村があったとは思えないほど。
そう、人の気配すら無かった。
帝人を封じ込めた人間以外は。
「あ、あ、」
単語しか言えぬ愚かな人間に、静雄が深く響く唸り声をあげたのを手で制し、帝人は「帰りましょう」と告げる。
境界を踏みにじった結果がこれだ。
同情の余地は無い。
人間は嫌いではないけれども、やはり帝人は人為らざるモノなのだ。
人間が手を出してはいけない存在。
それが帝人なのだ。
霧が立ち込め、帝人達の存在を囲いこむ。
男の手が縋るように伸ばされたが、届くわけがなかった。
しかし、くるりと振り返った妖し狐。
真っ赤な眸を愉しげに細め、薄い唇を開く。

「呪われろ」

落としたのは、毒を孕んだ呪いの言葉。

「呪われろ呪われろ。我等の怒りを思い知れ」

深く深く霧で閉ざされた男の視界。
哀れ独り残った男の運命がどうなるかなど、帝人達にはどうでもいいことだった。






慣れた気配のする場所で、帝人は前と後ろからそれぞれ養い子に抱きつかれたまま苦笑する。
「もうあんな目にあっちゃ駄目だからね。帝人君はずっと俺の傍に居なきゃいけないんだから」
「次があっても絶対助ける。でも、やっぱりあんなのはもう嫌だから、今度はちゃんと護る」
やれやれ暫くはこの状態なんだろうなぁと、少しばかり呆れながらも、数日離れただけでやけに懐かしく感じるふたりの温もりを噛み締めるように帝人は瞼を閉じた。
作品名:失くせない場所 作家名:いの