わるいゆめ
自分のアパートの階段下で、僕が倒れている。
頭から血が流れて、血の気のない顔で眠っていた。
そこまで考えてふ、と、気が付いた。
じゃぁ、半透明の姿で浮かぶ、此処に居る自分は何だ?
もしかして、僕は、
死んだのかもしれない。
時間は東の空の下のほうにある太陽から判断して、結構な早朝だと思う。
パジャマ代わりのジャージのまま、靴もはかずに裸足で僕は死んでいた。
何かとても焦っていて、アパートの階段を踏み外した。たぶん、そうだと思う。
何故自分が焦っていたのか、こんな恰好で何処へ行こうとしてたのか、全く思い出せない。
というよりも、本当に僕は死んだのかな?透けて見える自分の手を空にかざしてもいまいち実感がわかない。
達の悪い夢なんじゃないだろうか。
僕は横たわる自分の姿にそっと手を伸ばして触れてみようと思った。
と、そこへ、誰かが走ってきた。
気配にそっちを見ると、臨也さんだった。
どうしてこんな時間に臨也さんがこんなところへ来るのか、わからない。
しかも、らしくなく走っていた。
息を切らして、汗までかいて、寒い早朝に臨也さんの息だけが白く吐かれる。
それは、生きている証拠。
臨也さんは倒れている僕を見て茫然とした顔で「帝人くん…?」と呟いた。
そう呟いたまま微動だにせず、突っ立ったまま数分が経つ。
臨也さんはよく死んだらどうなるのか、どうにもならないのか、という議論を話していた。
僕は半透明のまま此処に居ることを伝えたくて、臨也さんの顔を覗きこんだ。
と、その瞬間、臨也さんの口角がニヤッと上がるから、てっきり見えてるのかと思った。
「馬鹿だね、帝人くん。」
今まで聞いたことも見たこともない冷たい瞳に冷たい声、それは半透明の僕を通り越して、横たわる僕に向けられていた。
「ハハッ、ハハハ。」
静かな朝に臨也さんの笑い声が響く。
「良いざまだね、もう帝人くんにうんざりしてたんだよ、俺は。」
それは動かない僕への恨みごとだった。
僕の思いが重かったこと、少し優しくすると付け上がること、偽善者ぶって、そのくせだれも救えない弱い自分に気が付かないこと、甘えたがりなこと、
他にも、他にも、
不思議なことに驚きや悲しみは無かった。
ただ、「そうか。」と納得してしまった。
納得しながら、胸が痛んで、でも、涙は出なかった。
一通り言い終えた、臨也さんは「でも、」と付け足した。
「帝人くんのその今時珍しいくらい痛んでない黒髪と、まん丸な目は好きだよ。」
そう言って、何処から取り出したのか、鋭利な刃物を僕の首へ向けた。
「その頭だけは俺の物にしといてあげる。」
もう痛みなど感じられないはずなのに、チクリと首が痛い。
首を押さえて、下を向くと、僕の携帯が落ちていた。
画面にはメール。宛名は臨也さんだ。内容は、
「俺達、別れようか。」
その画面を見たのが最後だった。
すごく、怖い悪夢を見た。
僕が飛び起きた反動で、ベッドが揺れて、隣に眠る臨也さんが身じろぐ。
「何、どうかしたの?帝人くん…?」
ガシ、と頭を掻きながら、臨也さんが上半身を起こした。
「あ、すいません、起しちゃって。」
「別に良いよ、ね、今何時…?」
薄暗い部屋の中で手を動かして携帯を見つける。
時刻はまだ4時半だった。
「ごめんなさい、もう一回寝ましょう?」
「そだね、俺、まだ寝始めてから2時間も経ってない…。」
眠たげな声でそう言われる。
昨日も夜遅くまで仕事してたんだ。
「すいません…。」
「良いって。…怖い夢でも見た?」
そう言われて胸に抱え込まれる。
大人しく頭を預けようとして、思い出した。
『うんざりしてたんだよ』
僕の体が強張ったのがわかったのか、臨也さんが僕の顔を見る。
「どうしたの?」
「・・・え?」
『甘えたがり』『偽善者』
『俺達、別れようか。』
夢の中の臨也さんの声と携帯の画面が僕を責める。
夢と現実がシンクロした。
「…帝人く、」
臨也さんの声がピタリと止まり、眠たげだった目が僅かに見開く。
夢の中では出る気配もなかった涙が僕の頬を伝ったせいだ。
「馬鹿だね、帝人くん。」
夢の内容を話した僕に吐かれた言葉は、夢の中と同じだったけれど、その響きは全く違う。
とてもとても優しい。
「そりゃ、もっと甘えて欲しいとか、もっと頼って欲しいとか、誰にでも優しくしないで欲しいとか、他にも他にも、帝人くんに思うところはあるけどもね。」
「…。」
「そういう不器用な帝人くんだから好きなんだ。」
優しく頭を撫でられて、僕は目を閉じた。
不安になっていた。
そんな僕の心の闇が夢になって現れたみたいだ。
「で、俺が思うにはね。」
「はい。」
「帝人くんがそんな夢を見るようになった原因はね。」
「…わかるんですか?」
「モチロン、俺が君のことでわからないことは無いよ。」
自信満々にそう言う。僕のことをわかってくれている。
じんわりと、心が暖かくなって、怖い夢の内容は遠く彼方へ消えていった。
「要はさ、ここ最近俺忙しかったし、帝人くんもテストだったでしょ?」
「はい。」
「アレだよ、セックスレス。」
は?
世界がくるんと回転して、押し倒されたのがわかった。
「臨也さん、今、朝ですよ?」
「俺としたことが君を不安がらせるなんてね、恋人失格だよね。」
臨也さんは聞こえないふりをした。
「り、臨也さん?睡眠のが大事かと…」
「まさか、愛し合うことのが大事だよ。俺にとっては。」
にっこりと、臨也さんは笑った。
「ああ、そうだ。ねぇ帝人くん、」
思い出したように臨也さんは続けた。
「もしも、その夢のように俺を置いて死んだりしたら…。」
「殺すよ。」
首筋に噛みつかれて、夢と同じようにチクリと首が痛んだ。