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「何かが起こりそうな夜は祈りを捧げて目を閉じなよ」(3)

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「精が出るね、兵助」
 試験が近かろうがそうでなかろうが、学生なのだから勉強をする。そういうものなのだから当然だと言わんばかりに勉強する兵助の真面目さは恐らく生来のもので、兵助を尊敬すべき点のひとつはこれだと、雷蔵は常々思っている。「試験前に慌てて一度しか勉強しないから身に付かないんだ。毎日少しずつ、繰り返して勉強すれば確実だろ」と、以前彼が何の気なしに言っていたのを思い出す。紛う事なき正論だ。その正論を口に出して、本当にやり遂げる。それが出来るのが、久々知兵助という奴だった。
 教室のドアを開け、自分の席にノートを広げ、伸びをしている兵助を見付けると、雷蔵は声を掛けた。「おー、雷蔵」と軽く返事をすると、兵助はペンを握り再びノートに向き合いながら言った。
「委員会の仕事か?」
「いや、今日は当番じゃないんだけどね。暇だし、本借りたくて」
 勉強しながら喋れるなんてつくづく器用だなあ、と雷蔵は思いながら、ハードカバーの本を2冊ほど、持っていた鞄に仕舞うと、兵助の座っている前の席の椅子を拝借し、座った。
 三郎が今日は級長委員会に出ており、それの終わるのを待つことにしたが、実のところ級長委員会がどういった活動をしているのか雷蔵は知らなかった。だからいつ終わるのか見当も付かず、しかし置いて帰るわけにもいかないので、図書館に行った後で、そういえば、と兵助の勉強癖を思い出し、隣の組である兵助のところまで来たのだった。兵助は、数学の授業のあった日はいつも居残りで復習をしていた。本人曰く、「どうしても分からないところをすぐ先生に聞きに行けるから」らしい。
 雷蔵は、暫く兵助のノートを眺め進度を見たあと、さっき借りた本を1冊取り出して少しだけ読んだ。委員会の後輩が勧めてくれた本で、ミステリーのはずだが、哲学者の著書からの引用に始まり、何やら学術書のような小難しい書き出しだった。
 頭を使いそうなので部屋に帰ってからまたゆっくり読もうと本を閉じると、兵助の方を見やる。兵助には話しかけてはいけない時とそうでない時があって、今は後者だと分かった雷蔵は、本を鞄にしまい、声を出した。
「この間さ」
「うん」
「三郎に、『もし、俺たちが前世でもこうして一緒にいたとしたら、どう思う?』って聞かれたんだ」
「うん」
「いきなりで驚いたけど、『分からないけど、本当だったら凄いことだね』って言った」
「うん」
「兵助はどう思う?」
 兵助のペンを動かす手がピタリと止まる。集中を遮ってしまったかな、と思ったが、そうではなかったようで、少しも考える仕草をせず、数学の教科書を手に取りページを捲りながら口を開いた。兵助は本当に器用だ。
「宿縁って言うんだよな、そういうの。三郎と雷蔵には悪いけど、俺はそういうの信じてない」
「うーん、三郎もそういうの、信じるタイプじゃないって思ってたんだけどね」
「だって、もしそうだったとしても、今の俺達には関係ないだろ」
 兵助は公式をノートに写し、教科書を閉じ机の端に置くと、再びペンを動かし始める。
「遠かろうが近かろうが、過去のことを言ってもどうしようもない。大切なのは、そこから今を作り出すことだ」
 雷蔵はこの兵助の達観した考え方が好きだった。好き、というよりは、憧れだろうか。自分には絶対に出来ないものに雷蔵は、素直に憧れを持てる人間だった。しっかり思考し、不要なものを切り捨てる兵助の潔さに下心はてんでなく、だからこそ自分だけじゃない、八左ヱ門や三郎や勘右衛門もそうだろう、兵助の見解を蔑ろにしたりはしない。潔癖過ぎるともとれる彼の意見を潰すようなことは決してしない。
 彼らはそうやって出来ている。そうやって均衡とも自覚しない均衡を保っている。まるで何かから、ともなく、互いを守るみたいに。
「雷蔵、いるか?」
 教室のドアの辺りから声がしてそちらを見やると、鞄を持った三郎が立っていた。
「ああ三郎、終わったんだ」
「悪い、遅くなった。会計委員に提出する予算の書類の内訳について話し合ってたらさ」
「お前ら……本当によくやるよ」
 それは大方会議の際の茶菓子代を経費で落とす為の名目の捏造というだけなので、兵助がやはりノートから目を移さないでため息混じりに言ったその言葉に、三郎はいつも通りの顔で「だろ?」と笑った。それに雷蔵は安心した。安心? 何故?
「僕たちは寮に戻るけど、兵助は?」
「ん、キリ悪いしこのまま残ってやる。一段落してタイミングがよかったら、八と一緒に戻るよ」
 八左ヱ門は野球部の活動で、大体の平日と土曜は夕方まで学校にいる。あと1時間もしたら練習が終わって教室へ戻ってくるだろう。
 兵助にまた後で、と告げると、教室を出て寮への帰路を辿る。と言っても寮は学校の隣に併設されていて、帰るとか戻るとかいうよりは移動教室の様な感覚だ。そうこうしているうちにすぐ外観が見えてくる。
「それで、何かいい案は出たの」
「良くぞ聞いてくれた雷蔵! それがさ、庄左が妙案を持って来てくれて………」
 ほら、やっぱり、いつもの悪巧みの顔だ。
 ———いつもの?
 少し前はあんなに思い詰めていたというのに、一転してこれだ。彼は作り笑いが上手いから見分けるのは難しいが、真意を汲み取るのはもっと難しい。だから雷蔵はよくその表情を見詰めて考える。いくら容姿が似ていようと、中身が違うのだから彼と自分は別の人間で、そうでなければ、彼の考えが分からないことだって説明が付かないじゃないか、と。
「雷蔵?」
 三郎が何事かと顔色を伺ってきて、ふと我に返る。
「ご、ごめん。何?」
「何でもないが、そんなに見られると、変な気でも起こしそうな気分になるが?」
「え!」
 雷蔵が驚いてすぐ眉をひそめると「冗談だって」とまた悪ふざけのように笑った。