名無し
いやだなあと、思う。
小春日和の今日は温かく、おかしなくらい長閑だ。風はあまりない。ただ日光がぽかぽかしていて、心地よく、けれど微睡むような気持ちにはならない。
でも、嫌だなあ。
嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。ああもういやだなあ。
どうして此処はこうまで平和でいるんだろうか。穏やかでいるんだろうか。
右手の山の裏では、今ごろ自分よりも幼い子供たちが人殺しを教え込まれているのだろうし、左手の谷の下には落ちぶれた者たちの白骨がごろごろしている。今いるのこの木の下にだって、死体が埋まっているらしい。
それなのに白っぽい薄紅が覆っているこの天蓋の中は、温かい光で溢れていて、小さく鳥まで鳴いている。
「 」
名前を呼ぶ。振り向かない。代わりに、いきなり現れた人の気配に驚いて鳥が飛び立っていった。ちらりと見えた自分と同じ薄茶の色に、鶯だったのだと気付いた。
「好きだよ」
一つ下の枝で、振り向かない相手に伝える。
そうだとも。
好きだよ。好きだよ。好きだよ。好きだよ。愛している。愛しているのに。だから悲しい。痛い。くるしい。おかしくなりそうだ。こわれそうだ。すきなのに。すきなのに。すきなのに!
すっと、呼気が漏れた。冷や汗が伝うぞくりとした感触に、混乱して混迷してショートしようとしていた思考が止まる。落ち着く。ああ、こわれるところだった。
落ち着いてしまえば汗が気持ち悪くて、もう鶯はいないのに、そっと、額を拭う。
変なの。自分だけど。
そのまま自分の頬に触れる。笑っては、いない。しかめっ面も、していない。無表情、でもない。おかしいな、自分はいまどんな顔をしていると言うんだ。触れながら考えていて、鏡もないのに分かるはずないではないかと思い至った。触れただけで、わかるはずない。
遠くから風が吹いている。ひどく静かだ。自分が声を出した以上に、空気は揺れていない。振り向いてもいない。
酷い奴。酷いやつ。ひどいやつ。振り向かないなんて。振り向けよ。振り向いて、見ろよ。こっちを見てよ。
「 」
呼ばれる。答えてやらなかったのに、振り向きもしない。なんだよ、ひどいじゃないか。
「……俺もさ」
呟かれた。やっぱり振り向かない。だから、……ああ、だから、嫌なんだ。
上を見上げる。空が見たかったのに、白っぽい花しか見えない。天蓋の割れ目からは光が差し込んでいて、温かくて、唐突に、鶯の美声を聴きたいと思う。でも、すぐに思い直す。きっと殺してしまう。
いやだなあ。口に出さないで思う。
すきなのに。ああもう本当にいやだなあ。一緒だなんて。同じだなんて。もうどっちも狂ってるなんて。嫌だなあ。
ふと、あの鶯の色を思い出す。雌だったのだ。
[それがうれしくっていとしくってしかたがないくせにさ!]
小春日和の今日は温かく、おかしなくらい長閑だ。風はあまりない。ただ日光がぽかぽかしていて、心地よく、けれど微睡むような気持ちにはならない。
でも、嫌だなあ。
嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。嫌だなあ。ああもういやだなあ。
どうして此処はこうまで平和でいるんだろうか。穏やかでいるんだろうか。
右手の山の裏では、今ごろ自分よりも幼い子供たちが人殺しを教え込まれているのだろうし、左手の谷の下には落ちぶれた者たちの白骨がごろごろしている。今いるのこの木の下にだって、死体が埋まっているらしい。
それなのに白っぽい薄紅が覆っているこの天蓋の中は、温かい光で溢れていて、小さく鳥まで鳴いている。
「 」
名前を呼ぶ。振り向かない。代わりに、いきなり現れた人の気配に驚いて鳥が飛び立っていった。ちらりと見えた自分と同じ薄茶の色に、鶯だったのだと気付いた。
「好きだよ」
一つ下の枝で、振り向かない相手に伝える。
そうだとも。
好きだよ。好きだよ。好きだよ。好きだよ。愛している。愛しているのに。だから悲しい。痛い。くるしい。おかしくなりそうだ。こわれそうだ。すきなのに。すきなのに。すきなのに!
すっと、呼気が漏れた。冷や汗が伝うぞくりとした感触に、混乱して混迷してショートしようとしていた思考が止まる。落ち着く。ああ、こわれるところだった。
落ち着いてしまえば汗が気持ち悪くて、もう鶯はいないのに、そっと、額を拭う。
変なの。自分だけど。
そのまま自分の頬に触れる。笑っては、いない。しかめっ面も、していない。無表情、でもない。おかしいな、自分はいまどんな顔をしていると言うんだ。触れながら考えていて、鏡もないのに分かるはずないではないかと思い至った。触れただけで、わかるはずない。
遠くから風が吹いている。ひどく静かだ。自分が声を出した以上に、空気は揺れていない。振り向いてもいない。
酷い奴。酷いやつ。ひどいやつ。振り向かないなんて。振り向けよ。振り向いて、見ろよ。こっちを見てよ。
「 」
呼ばれる。答えてやらなかったのに、振り向きもしない。なんだよ、ひどいじゃないか。
「……俺もさ」
呟かれた。やっぱり振り向かない。だから、……ああ、だから、嫌なんだ。
上を見上げる。空が見たかったのに、白っぽい花しか見えない。天蓋の割れ目からは光が差し込んでいて、温かくて、唐突に、鶯の美声を聴きたいと思う。でも、すぐに思い直す。きっと殺してしまう。
いやだなあ。口に出さないで思う。
すきなのに。ああもう本当にいやだなあ。一緒だなんて。同じだなんて。もうどっちも狂ってるなんて。嫌だなあ。
ふと、あの鶯の色を思い出す。雌だったのだ。
[それがうれしくっていとしくってしかたがないくせにさ!]