ラブはじめました
その日、帝人は臨也にいい笑顔で告げた。
この頃いつもになっていた浮かない顔など嘘のような晴れやかさだ。
「好きな人ができました」
暗雲立ちこめた空に光が射した、それほどに輝かしい顔で恋人であるところの臨也に向かって帝人は言う。
二人が付き合うに至った経緯は普通の恋人たち以上の紆余曲折を経た長ったらしい物語であるため割愛する。
(上手くいってたと思うけど? 我ながらさ)
こんなことを切り出されることになるとは臨也も思ってはいない。
好意にあぐらをかいた覚えはなくとも、それなりに好かれているという自覚はあった。
申し訳なさそうならともかく、笑顔であっさり決別を宣言されてはすがりようもない。
そのぐらい弁えている。
「別れよっか、そういう約束だもんね」
「はい」
臨也の提案にも帝人は笑って頷く。
悲しみも淋しさも罪悪感もそこにはない。
臨也の中に苛立ちがわいてくる。
(そりゃあそうだ。誰だよ、相手)
帝人の交友関係を臨也はすべて把握している。
通りすがりの今日話しただけの人間だって臨也はわかっている。
自分のまとう気配が刺々しくなっていくことを自覚しながら臨也は自尊心から帝人が好きになった相手の名前を聞けずにいた。
ここで二人は別れてそしてもう永遠に混じり合うこともないのだろう。
知人友人扱いぐらいはしてくれるだろうが、自分がそれで満足できるとは臨也には思えなかった。
どうしてだろうかとすねた気持ちになりながら臨也は繰り返す。
(俺、上手くやったと思うんだけど)
こみ上げて来たのは絶望感だった。
臨也は情報操作は得意だ。それで収入を得ているわけだが、臨也はずっと帝人にいい人で居続けた。
わざと偽悪者ぶって本当の悪事も綺麗に隠した。保身ではなく無意識に。
ばらまき続けた嘘の仮面はこんな時きっと「ダメになったらまた俺のところに戻ってくればいいよ」なんてことを言い出すのだろう。
心にもない。
もし万が一そんな事態になったら盛大に侮辱の言葉を投げつけるための前ふり。
(でも、いまは嬉しい)
帝人が今ここで先ほどの発言を訂正して、別れるなど否定してくれるなら。
(嫌味の一つぐらいで許してあげる)
臨也は馬鹿馬鹿しい夢想だと心を片づけながら帝人の笑顔を見る。
近頃、浮かない顔だったのは自分のそばに居づらかったからだろうと考えると臨也は切なくなった。
誰かのせいでこんな気持ちになる日が来るとは思いもしなかった。
不思議と「冗談じゃない」などと不機嫌な気持ちは浮かばない。
むしろ知り尽くしていた自分の新たな側面を教えられて気分がいい。帝人は常に期待通りで予想外。そんなところが臨也は好きだ。
「臨也さん」
「うん?」
心を殴りつけられる趣味はないので出来るならさっさと一人になりたかったが、離れづらくもある。
「僕、臨也さんが好きです」
「俺は愛してるよ」
即座に返した自分の言葉を聞きながら臨也は戸惑いを顔に出す。
頭の中では「ちょっと待ってくれ、タイム!」と時間停止を訴えかけるが現実は淡々と過ぎていく。
「ありがとうございます」
帝人はやはり微笑む。
いつもと変わらない笑みがどこか違って感じた。
すべてを理解できた気がした。
臨也はそれだけ帝人のことを見ていた。
知っているかは別として見ていた。
「俺と付き合って下さい」
「なんでですか」
「俺が帝人君を好きで離したくないから」
「・・・・・・嘘だったら楽でしたけどね」
疲れたようなその顔に肯定を見て取り臨也は帝人を抱きしめる。
年下に甘えるというのも考え物ではあったが知ったことではない。
「何もかもが嘘だったとして、君が好きなのは本当だよ」
「そうですか。伝染してしまいましたね」
腕の中で帝人が溜息を吐くのがどこまでも愛おしい。
何をどこまでかは知らないが臨也と一緒にいることを拒否するぐらいの現実に帝人は触れたのだろう。
それでも選ばれたのは臨也だ。
帝人が何を犠牲にしたのか知りはしないが、この現実は祝福するに足る事実。
「後悔以上の幸福をあげる」
「今はまあ、それなりに満足です」
平坦に聞こえる声とは裏腹に耳まで赤くして臨也の胸に顔を押しつける帝人へ向ける感情は澄んでいた。
(本当、期待以上だ)
濁らない思い。
今だけのものだとしても尊いと言うほかにない。
(純愛だよね。純愛。うんうん、いい言葉だ)
臨也は内心で頷き腕の力を強めて帝人を囲い込む。
帝人に余計なことを吹き込んだ相手をいぶり出す算段をしながら、ごっこ遊びが本物へ昇華したことを祝った。
(まぁ、時間の問題だったけどね)
自分が世界から裏切られる現実を臨也は想像できずにいた。
これは努力に見合った成果だ。
払ったものは帝人を思えば代償というにはあまりにも微々たるもの。
(さて、これからどうしよう。考えるまでもないか)
そう、後はただ幸せであればいいだけだ。